近松門左衛門

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ちかまつもんざえもん


総合


歌舞伎

歌舞伎・浄瑠璃の作者。 元禄時代に輝いたわが国最大の劇詩人。本名は杉森信盛。はじめ、京都を活動拠点とし、延宝3年頃から宇治加賀掾のもとで浄瑠璃を書いていたが、元禄6年頃からは、坂田藤十郎と組んで、歌舞伎作品も書いた。 一方元祖竹本義太夫浄瑠璃「出世景清」「曽根崎心中」などを書き下ろし、逼迫していた大坂竹本座の経営をいっきに挽回するほどの当りをとり、晩年には二世義太夫に同じく「国性爺合戦」などを書いた。享保九年(1724)七十二才で没した。作品は役百四十篇、いずれも深い愛情につつまれた、詩味豊かな名作である。

出身地

尼崎市。福井県鯖江市、山口県長門市などの説もある。

関連人物

代表的作品

歌舞伎

傾城仏の原傾城壬生大念仏

浄瑠璃

出典

①近松辞世文

近松門左衛門性は杉森字は信盛平安堂巣林子之像 代々甲冑の家に生れながら武林を離れ三槐九卿につかへ咫尺し奉りて寸爵なく 市井に漂て商買しらす隠に似て隠にあらす 賢に似て賢ならす ものしりに似て何もしらす 世のまかひものからの大和の数ある道々 妓能雑芸滑稽の類まてしらぬ事はなけに 口にまかせ筆にはしらせ一生を囀りちらし 今はの際にいふへくおもふへき真の一大事は一字半 言もなき倒惑こゝろに心の恥をおほひて七十あまりの光陰 おもへはおほつかなき我世経畢 もし辞世はと問人あらは それそ辞世去ほとに扨もそのゝちに 残る桜か花しににほはゝ 享保九年中冬上旬 入寂名阿耨院穆矣日一具足居士 不俟終焉期予自記春秋七十二歳 印 のこれとはおもふもおろかうつみ火の けぬまあたなるくち木かきして

②享保十二(1727)年刊『今昔操年代記

③貞享四(1688)年刊『野郎立役舞台大鏡

おかしたいもの 南京のあやつり 近松が作者付 ひよつとわけもない事をいふた此やふな事はいくらも人がいふておゐたにふるい事ばかり 又ある人の曰よい事がましう上るり本ニ作者かくさへほめれるぬ事じやニ 此比はきやうげんめてニ作者を書 剰芝居のかんばん 辻/”\の札ニも 作者近松と書しるすいかいじまんとみへたり此人歌書か物語をつくらば外題を近松 作者物語となん書給ふべきや 答曰 御ふしん尤ニは候へども とかく身すぎが大事ニて候 古ならば何とてあさ/\しく作者近松などゝ書給ふべきや 時ぎやうに およびたるゆへ 芝居事でくちはつべき覚悟の上也 しからばとてもの事に 人にしられたがよいはづじや それゆへおしだして万太夫座の道具なをしにも 出給い堺のゑびす嶋て栄宅とくんでつれ/”\のこうしやくもいたされるなり 双方わぼくの評ニ曰 此人作られける近代の上るり詞花言葉にして 内典外典軍書等に通達したる廣才のほどあきらけし その徳おしむべきは此人とほうびあまつて今こゝに云々。

④元文三(1738)年刊『難波土産

参考文献

  • 祐田善雄『浄瑠璃史論考』(中央公論社、昭和50年)
  • 原道生「鑑賞日本の古典『近松集』」(尚学図書、昭和50年)
  • 日本文学研究資料刊行会『近松』(有精堂、昭和51年)
  • 松崎仁他『シンポジウム日本文学 近松』(学生社、昭和51年)
  • 祐田善雄『曾根崎心中・冥途の飛脚』(岩波文庫、昭和52年)
  • 義太夫年表近世篇刊行会『義太夫年表 近世篇』(八木書店、昭和54~平成2年)
  • 森山重雄『近松の天皇劇-神話伝承的世界の再創出-』(三一書房、昭和56年)
  • 鳥越文蔵、内山美樹子、信多純一、井口洋「岩波セミナーブックス『近松への招待』」(岩波書店、平成元年)
  • 『近松全集』(岩波書店、平成6年)
  • 園田学園女子大学近松研究所『近松研究の今日』(和泉書院、平成7年)
  • 園田学園女子大学近松研究所『近松の三百年』(和泉書院、平成11年)
  • 松平進『近松に親しむ その時代と人・作品』(和泉書院、平成13年)
  • 近松生誕三百五十年記念近松祭企画実行委員会編『近松門左衛門三百五十年』(和泉書院、平成15年)
  • 「特集『近松』」(『江戸文学』第三十号、ぺりかん社、平成16年)

画題

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解説

東洋画題綜覧

ちかまつそうりんし「近松巣林子」に同じ。 (『東洋画題綜覧』金井紫雲)