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00 はじめに
本サイトでは、アート・リサーチセンター所蔵、揃物錦絵「恋合端唄尽」について解説していきます。
「恋合端唄尽」は、現在、26枚が知られており、アート・リサーチセンターはこの全作品を所蔵しています。今後、27枚目以降が発見される可能性も十分にありますが、現状では、26枚を揃いで持っている所蔵機関は非常に少なく、その意味で貴重な揃い物となっています。
02 お染 久松
絵師:三代目豊国
落款印章:任好豊国画(年玉枠)
改印:申十改
出版年月日:万延1年(1860)10月
版元名:若狭屋与市
配役:お染…三代目岩井粂三郎、久松…十三代目市村羽左衛門
お染久松は、様々な作品の中で描かれるが、本図は、歌舞伎「お染久松色読販」の心中場を描いている。
浄瑠璃「心中翌の噂」では、 「夜櫻や隅田川原へ棹さして、舟の中には何とおよるぞ苫を敷き寝の梶まくら…」 とあり、台本には、 「爰にお染、お高粗頭巾にて、吹替への久松、頬冠りして相合傘にて立ち身。この形にて押し出す。」ともある。
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04 権八 小紫
絵師:三代目豊国
落款:好任豊国画
落款:好任豊国画
大判錦絵 1枚
版元:笹屋又兵衛
版元:笹屋又兵衛
改印:申六改
出版年月:万延元年(1860)6月
出版年月:万延元年(1860)6月
配役:権八<3>市川市蔵 小むらさき<3>沢村田之助
権八、小紫は「花摘籠五十三驛」の主人公である。小むらさきの着ている袢纏には釻菊の文様が入っており、これは歌舞伎俳優沢村宗十郎一門の紀伊国屋の屋号を表している。沢村一門の屋号は釻菊以外にも存在し、時代・役者に関係なく混同して使われることが多いが、<3>沢村田之助の役者絵には、この釻菊が使用されていることが殆どのようである。
また、小むらさきの髪型は勝山髷(丸髷)とよばれるもので、髪飾りは簡素であり、簪や櫛が水平に挿されているのが特徴。小紫は遊女の階級としては最上級の太夫とされていたが、世間一般にイメージされる太夫や花魁といえば、もっと豪華絢爛な身なりだとされているのではないだろうか。実際に太夫たちがそのような華美な髪型や髪飾りをし始めるのは、1800年前後からであり、元禄期(17世紀末)はまだ太夫ですら櫛や簪を挿していることは少なかったようだ。『恋合 端唄尽』が描かれたのは1860年頃だが、小紫の身なりに当時の文化をしっかりと反映させていることがわかる。
この二人は実在した人物とされており、小紫を買うために犯罪者となった権八と、処刑された権八を後追いした小紫を一途な恋愛物語として語り継がれており、東京目黒区では二人の比翼塚を見ることができる。
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06 浦里 時次郎
絵師:豊国〈3〉 落款印章: 任好 豊国画(年玉枠)
大判/錦絵 版元: 笹屋又兵衛
改印: 申六改 出版:万延1年(1860)6月 江戸
配役: 浦里 <3>岩井 粂三郎、 時治郎 <1>中村 福助
09 おかる 勘平
「仮名手本忠臣蔵」は所作が詳細に確立されており、本作品中の、手ぬぐいを口に当て、歯で食いしばっているおかると右腕の袖を左手でまくりあげているシーンは実際の舞台でも上演されていることが分かった。手ぬぐいを使用した悲しみの表現方法は、声を出して泣くのではなく、女性のしおらしさを演出するためのものと考えられる。また、関東と関西では演出に差異があり、関東の舞台の方が勘平の侍である身分を重視して、衣装の点などで華やかな演出が多いことが分かった。「仮名手本忠臣蔵」は歌舞伎の中でも最高峰の作品であり、古くから現代に至るまでに、不動の地位を物にしてきた。実際に起こった「元禄赤穂事件」自体が世間に広く知られており、その事件に踏まえ、今回の作品の「おかる・勘平」といった完成度の高いサブストーリーが織り込まれているところが「仮名手本忠臣蔵」が長きにわたって人気を維持している理由であるといえよう。本作品は、「仮名手本忠臣蔵」の六段目、おかると勘平の別れの場面が、三代目歌川豊国の手によって如実に再現されている。その場面において最も盛り上がり、役者と観客の熱気がピークを迎える一瞬を正確に捉えることができるのも、後世に名を残す名画師である三代目歌川豊国だからこそ成せる技なのであろう。
10 宗貞 小町姫
画題:「恋合端唄尽し 宗貞 小町姫」
絵師:三代目豊国
落款印章:豊国画
落款印章:豊国画
判型:大判/錦絵
版元名:若狭屋 与市
改印:申十一改
配役:宗貞…三代目市川市蔵 小町姫…三代目沢村田之助
※この配役による上演は見つからない。
「積恋雪関扉」の一場面を描く。
宗貞が関兵衛の怪しい様子に気づき、小町姫に小野篁に告げに走らせる直前の場面。
二番目の歌詞には、「またいつか逢おうじゃないか」という小町姫や宗貞の心情を表現している。
深草少将は宗貞ともいわれ、そうであるならば、宗貞と小町姫の物語は「積恋雪関扉」の他に「百夜通」にも通じる。「百夜通」での二人の恋は、小町のところへ百夜通う少将が最後の晩に大雪が降ったため、途中で凍死してしまい、結ばれずに終わってしまう。一方、「積恋雪関扉」では二人のその後の恋愛模様は書かれていない。
宗貞が関兵衛の怪しい様子に気づき、小町姫に小野篁に告げに走らせる直前の場面。
二番目の歌詞には、「またいつか逢おうじゃないか」という小町姫や宗貞の心情を表現している。
深草少将は宗貞ともいわれ、そうであるならば、宗貞と小町姫の物語は「積恋雪関扉」の他に「百夜通」にも通じる。「百夜通」での二人の恋は、小町のところへ百夜通う少将が最後の晩に大雪が降ったため、途中で凍死してしまい、結ばれずに終わってしまう。一方、「積恋雪関扉」では二人のその後の恋愛模様は書かれていない。
本作は、二人がこの後どのような恋愛を繰り広げたのかを想像させるには打って付けであろう。
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11 浄瑠璃御前 牛若丸
本作品は、中世後期の物語草子である「浄瑠璃物語」に登場する主人公源義経(幼名牛若丸)とヒロインである浄瑠璃姫の愛情を描いたものである。作品中には、牛若丸が所有する名笛「薄墨」を浄瑠璃姫が手で引き、上目遣いで牛若丸を見上げている。このシーンは「浄瑠璃物語」で外で笛を吹く牛若丸を館の中へ浄瑠璃姫が招き入れるところのようにも映るが、詞章から考察すると、分かれてしまう女の悲しみを表現していることが分かる。つまり、作品に描かれている二人の場面は、「浄瑠璃物語」十二段の内の第九段「御座移り」の段ではないかと推察する。また、作品中において牛若丸が歯を黒く染めていた(お歯黒)。お歯黒の文化は、日本の貴族特有のもので、主に既婚の女性に対してされるものであったが、平安時代末期より、男性、そして皇族や上流階級の貴族の少年少女もお歯黒をするようになった、という文化がある。牛若丸がお歯黒をして本作に登場しているのもその身分の高さを象徴するためのものであると推測できる。この作品の舞台は、配役と時期からみて、万延元年五月五日に江戸の守田で上演された「忠臣晴金鶏」(所作題は「四季文台名残花 、音曲は常磐津」であるという推測ができる。
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12 雛鳥 久我之助
絵師:三代目豊国
落款印章:豊国画
判型:大判錦絵
版元名:若狭屋与一
改印:申十一改
配役:久我之介…尾上梅幸 雛どり…中村福助
「妹背山婦女庭訓」山の段の一場面。親同士、領地の相隣関係にあるにもかかわらず義絶しているが、恋仲に陥っています。定高館の雛鳥の髪型は「吹輪(ふきわ)」と呼ばれ、華やかな花簪を付けており、姫を象徴する髪型です。一方、清澄館にいる久我之助は、経文を読んでおり、本図の右手に持つ巻物は、その経文であろう。「山の段」では、両家の間に流れている吉野川に隔てられ、互いに姿を見ることはできても、会話を交わすことはできません。互いのことを想って死んでいくという、悲恋の結末を迎える切なさが、二人の表情と見つめ合った構図によく表れています。
13 朝顔 阿曽次郎
絵師:三代豊国
落款印章: 任好 豊国画(年玉枠)
判型:大判/錦絵
版元: 笹屋 又兵衛
改印: 申七改
出版:万延元年(1860)7月 江戸
配役: 阿曽次郎<3>市川市蔵、あさがほ<3>沢村田之助
14 粟餅きな蔵 四つ紅葉のお滝
絵師: 三代 豊国 落款:任好 豊国画(年玉枠)
大判/錦絵 1枚 版元: 司馬、若与板(若狭屋与市)
改印: 酉三改 出版:万延2年(1861)3月 江戸
配役:あはもちきな蔵 <13>市村羽左衛門、 四ツ紅葉のお滝 <1>市川新車
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