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総合

茂林寺の文福茶釜

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絵師 芳年

落款印章 芳年(「大蘇」印)

画題 「新形三十六怪撰」 「茂林寺の文福茶釜」

出版年 明治25年(1892年)

版元:佐々木豊吉




文福茶釜

【文福茶釜・分福茶釜】(「ぶんぶく」は、湯がわき立つ時の擬声語「ぶくぶく」に当たる)群馬県館林(たてばやし)市の茂林寺に古くから伝わる茶釜。応永年間(一三九四~一四二八)、狸の化けたという老僧、守鶴(しゅかく)が愛用していた茶釜で、くんでもくんでも湯がなくならないところから不思議がられていたもの。住持によって、守鶴が狸の化身であることを見破られたため、守鶴は寺を去ったという。 寺の什宝(じゅうほう)の茶釜で、狐や狸がその茶釜に化けて人間に報恩する話に由来するもの。また、その伝説。一種の動物報恩譚で、全国的に分布する。

『日本国語大辞典』



The LuCky Tea Kettle of Morin Temple

この英語の論文において特にこれといって新情報を得ることはできなかった。強いていえば、この「ぶんぶく茶釜」が有名なのは「Tatabayashi」ではなく、「Tatebayashi」だと考えられる。 他にも、この絵はアナグマが僧に化け続けていることを忘れて、アナグマとしての姿をあらわしてしまった。という内容の文が書かれている。 また、この話には二通りの終わり方があるとも記されている。そのひとつが今に伝わるぶんぶく茶釜であり、狸(アナグマ)は木こり(最初に狸を助けた男)のところに戻り、旅をして、大道芸人として大成功する。そしてもうひとつが、寺に残り、日常のどうでもいい時のためではなく、大事な時のみ使われる茶釜として、のんびりと暮した、というものである。 今のところふたつ目の終わり方をする文献・伝承は見つけることができていない。



ちりめん本

印刷した和紙をちりめん仕立てに加工(縮緬紙)した後、和綴じ製本したもの。明治中頃から昭和初期にかけて出版された、欧米諸外国人に日本文化を紹介する目的で製作された本。日本の昔噺や和歌、日本の風俗・習慣などが題材とされ、英語他いろいろな言語の翻訳版が刊行されている。


「ちりめん本」--この言葉を聞いて布装幀の本を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。この「ちりめん本」、確かに素材感はちりめんの布地にそっくりですが実は立派な和紙。身近なところでファンシーペーパーの一種、クレープ・ペーパーをイメージしていただければわかりやすいと思われます。時は開国間もない明治時代、未知の島国、日本にやってきた外国人にとって、着物の生地を思わせるような素材感をもち、日本の昔話や風俗などを題材にした多色木版画刷りの絵入本は格好の土産となりました。ヨーロッパ本土のほうでも、浮世絵をはじめとしたエキゾチックな日本文化が大流行しており、日本文化が凝縮された「ちりめん本」は大変な人気をよび、各国語に訳され、輸出や国際共同出版までされるようになりました。 こうした外国人向けの絵入り草紙、「ちりめん本」出版の発起人は長谷川武次郎と言う人物でした。彼はペリーの黒船がやってきた1853年(嘉永6年)江戸に生まれました。江戸時代始まって以来の混乱期に青年期をすごした彼は、先見の明をもっていたのでしょうか、英語を取得することがこれからの日本人には必要と考えて英語を学び始め、さらに近代商業についても興味をもち、貿易や出版に関する知識を習得していきます。こうして文明開化のただ中にあって、海外に目を向けていた武次郎は、江戸時代からつづく浮世絵にちりめん加工をほどこしたちりめん絵が、外国人に大変人気があることを知り、外国人向けの土産物としてこれを改良して販売しようと思い立つのです。こうして開発された武次郎の縮緬本は明治1886年(明治18年)から弘文社より刊行され始めます。 ヨーロッパでも高い評価を受けた、江戸の浮世絵の流れを汲む絵師たちの下絵、世界でも有数の技術であった多色木版刷、日本の伝統的な紙文化が誇る和紙、そしてそれを見事にちりめん状にする特殊な加工・・・。実物を見ていただくと、大変美しく精巧な絵本であることがおわかりになることでしょう。こうした江戸の匠達が持っていた技術の結晶のような本が生まれたのも、鎖国が解かれ、外国人達が来日したためということは大変興味深いことです。さらにローマ字を創始したJ.C.ヘボン、日本古典文学研究の大家B.H.チェンバレン、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンなど当時の高名なジャパノロジスト達が訳を担当しており、「桃太郎」「舌切雀」「猿蟹合戦」といった私たちが子供の頃から慣れ親しんできた絵本が、高度な異文化交流の形となった大変な出版物なのです

[1]より抜粋

ちりめん本の例

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『文福茶釜』(Bunbuku chagama) 訳者:ジェイムズ夫人(Translator : Kate James) [絵師:新井芳宗(Illustrator : Yoshimune Arai)]


■ あらすじ   上野国<こうずけのくに>、茂林寺<もりんじ>の和尚が古道具屋で古い茶釜を買ったが、茶釜は頭や尻尾を出し狸のような姿で動き回って寺の小僧や和尚を驚かせた。このような奇怪な茶釜を買ったことを悔や んだ和尚は、茶釜を鋳掛<いかけ>屋に売った。夜、寝ている鋳掛屋を頭、尻尾、足、狸の毛皮をつけた茶釜が起こし、自分を丁重に扱うなら幸運をもたらしてあげようと約束した。茶釜の提案で茶釜を見せ物に して国中を回ることになり、大評判になった曲芸は大いに喜ばれ、鋳掛屋は金持ちになった。そこで鋳掛屋は見せ物をやめ、茶釜を休ませるため大金をつけて元の寺に奉納し、茶釜は寺で宝として飾られた。


注釈   上野国館林の茂林寺には一度水を入れると汲んでも減らない茶釜の伝説があり、それと結びついた話として伝わっている。「ぶんぶく」は湯の沸く音や、福を分ける「分福」の意味があるとされる。本作は『日本昔噺』シリーズの16作目として刊行されていた『鉢かづき』の後を受けて16作目に差し替えられたもので、そのためNo.16として二作品が 存在している。表紙のサインから絵師は新井芳宗<よしむね>であると わかる。なお、松室八千三<まつむろやちぞう>刊行版は大筋は同じであるが、文章が多く絵が少ない。

[2]ちりめん本データベース 国際日本文化研究センター

[3]


「ぶんぶく茶釜」の基本構造

ぶんぶく茶釜において、ほぼ全ての話に共通しているのは、「茶釜に化ける」という点である。この点は、ほぼ全ての話で共通しており、この部分がなければぶんぶく茶釜であると判断しきれないことを考えれば当然のことである。 化ける動物の種類という点においては「狸」ということはさして重要ではないらしく、多く狐の記述が見られる。ぶんぶく茶釜の、各地の伝承において化けた動物は狸でも狐でもかまわないようである。 狸、もしくは狐が人に対して恩返し、もしくは謝罪という形で、茶釜に化けることが基本となっているが、その理由は様々である。中でも多く見られたのは、山で罠にかかっているところを助けた、子どもにいじめられているところを助けた、友達の狸のところへ行って化けてくれるように頼んだなどがある。 この狸もしくは狐に恩返しをされる、化けるのを依頼する男であるが、爺、くず屋、博労、和尚、商人、馬追い、瀬戸物屋等多くの種類が見られ、特に決まりはないようである。長崎県の伝承に出てくる男の名前はなぜか「三吉」である。 内容に共通性ともいえるものは、「茶釜に化けて寺に売る」、「小僧に磨かれる、火にかけられる」のふたつ程度であろうか。 このふたつは多くの逸話において同じ場面が多く見られた。和尚に言われて小僧が茶釜を磨くというシーンが多く見られるのだが、そのシーンにおいてお決まりのセリフというものがある。それは「痛いから、そっと磨け」、「熱いからそっと(もしくははやく)焚け」という言葉である。このふたつの言葉は、かなり多くの伝承で描かれていたが、なぜこの言葉がここまで広まっていたのかは、わかっていない。


とりあえずこの「ぶんぶく茶釜」というものに分類されるものの大筋としては、

「狸、もしくは狐を男が助ける」⇒「狸・狐が茶釜等に化けて寺の和尚に売りに行く」⇒「磨かれるか火をかけられ耐えられなくなり山へ退散」

というものが最も多く見られるぶんぶく茶釜の基本形である。


各地に伝わる文福茶釜

狸、狐による報恩の逸話は様々な地域において数多く見られる。

山形県新庄市

熊本県

長崎県

高知県

新潟県

宮城県

岩手県

青森県





「ぶんぶく」

なぜ「ぶんぶく」という音になったのかという問題には、いくつかの意見が見られる。ひとつは、ものが茶釜であるため、湯のわく「ぶくぶく」がもととなり、「ぶんぶく」となったのではないかという説である。そしてもうひとつが福を分ける力が特にこの茶釜は強かったという理由である。しかし、どちらが正しいのかということは、全くわかっていない。 また、漢字にした場合にも「ぶんぶく」茶釜の「ぶんぶく」は「文福」と「分福」に表記が分かれている。 「分福」の方は、多少なりとも意味が理解できるが、「文福」に至ってはなぜ「文」なのか調べがついていない。 「ぶんぶく茶釜」を今の親しみのある童話にしたとされている巌谷小波(いわやさざなみ)が御伽噺として出版した時の表記が「文福」だったようであるが、そのはっきりとした理由はわかっていない。





まとめ

前期の発表では題材を探すのが、とても難しく、結局のところ見つからず、苦労した思いがあるが、今回は全くそういうことはなかった。 ただ、あまりにも有名な話であるため、各地にかなり多くの類似する物語があり、登場する動物も狸の時もおおくあったが狐の場合もとても多く見られた。今と違い、狸や狐といった動物がとても身近な存在だったことを感じさせられた。 また、この作品は現代に伝わっているものと、もとの話に、かなり大きな開きがあり、現代のものは当然、親しみやすいものとなっている。現代において、ぶんぶく茶釜といえば誰しも茶釜から顔と手足としっぽを出した狸が、綱渡りをしながら陽気に踊っている姿を想像するのではないだろうか。しかし、それは現代へと伝わっていく途中で、童話化された結果であり、もともとあった話とは似ても似つかないものになっていた。 この絵を見る限りでは、「和尚=狸」になっており、現代のぶんぶく茶釜ではなく、もとの話に近いのではないかと考えられる。しかし、漢字の表記は「分福」ではなく「文福」であり、その理由がはっきりと掴めなかった。茂林寺などでは「分福」の表記が使われており、茶釜の特性をとらえた漢字が使われているが、なぜこの絵において芳年が「文福」をつかったのかは非常に気になる点である。 また、この絵がどういった場面をとらえたものであるかという問題であるが、この絵を見る限り、特に狸に動きがあるわけではなく茂林寺において狸の正体がついにばれてしまったという急展開の場面とは考えにくい。しかしこの絵において狸はひじをついている体勢ともとらえることができ、これは居眠りの体勢とも考えられるのである。 またこの絵の内容であるが、茂林寺に伝わる伝承や『甲子夜話』に登場する『茂林寺の釜』が近いのではないだろうか。 この絵は各地の伝承とは異なり、狸が僧の恰好をしており、伝承で多く見られる寺に売りに行くという話とは大きくかけ離れている。つまり、この絵においては狸=僧であり、狸が僧に化けて代々茂林寺に仕えたという『甲子夜話』や茂林寺の伝承が最もこの絵に該当する内容の話ではないだろうかと考えられる。



参考文献

『日本国語大辞典』

『角川古語辞典』

『日本昔話大成』関 敬吾 昭和五十三年十一月三十日初版発行 角川書店

『怪異の民俗学2ー妖怪』小松 利彦 二〇〇〇年七月二五日初版発行 河出書房

『甲子夜話』松浦静山

『日本お伽集』森林太郎 松村武雄 鈴木三重吉 馬淵冷佑

『日本昔噺』二〇〇一年八月八日初版 平凡社 再販本のため、元の本の初版年は一八九四年