天狗

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天上や深山に住むという妖怪。山の神の霊威を母胎とし、怨霊、御霊など浮遊霊の信仰を合わせ、また、修験者に仮託して幻影を具体化したもの。山伏姿で、顔が赤く、鼻が高く、翼があって、手足の爪が長く、金剛杖・太刀・うちわをもち、神通力があり、飛行自在という。中国で、流星・山獣の一種と解し、仏教で夜 叉・悪魔と解されたものが、日本にはいって修験道と結びついて想像されたもの。

時代によりその概念に変遷があるが、中世以降、通常、次の三種を考え、第一種は鞍馬山僧正坊、愛宕山太郎坊、秋葉山三尺坊のように勧善懲悪・仏法守護を行なう山神、第二種は増上慢の結果、堕落した僧侶などの変じたもの、第三種は現世に怨恨や憤怒を感じて堕落して変じたものという。大天狗、小天狗、烏天狗などの別がある。天狗を悪魔、いたずらものと解するときはこの第二・第三種の ものである。(『日本国語大辞典』)


○「藤原仲成霊」と類似した天狗の絵画

しかし、ここで芳年の描いた霊をもう一度見直してみると、現代の私たちの想像する天狗とは少し違って見える。現代における天狗のイメージは鼻が高く、赤い顔をしたものではないだろうか。では、ここで描かれている天狗はどのような類のものであるのか。前述したように天狗にはさまざまな種類がある。ここで描かれているのはその中でも烏天狗に近いようである。芳年が描いたものとしては「」と比べると似ていることが分かるのではないだろうか。


○人から天狗へ

この霊はもともと人間であった。このように人間(霊)が天狗になるということはあるのだろうか。 人間が天狗になるという話は代表的なものとしては崇徳天皇の例がある。他にも後鳥羽天皇の例など、人が天狗になるという話は意外と多くある。『吉野拾遺』には書かれていなかったものの、芳年が霊を天狗として描いたことも、不思議なことではないかもしれない。


<参考>

『日本国語大辞典』 日本大辞典刊行会編 小学館 1977てんぐ


画題

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解説

画題辞典

天狗のこと諸説ありて説く所一定せず、仏説にては或は生仏不二の名なりといい、又魔王所属の従類にして、妙善王金著女、即ち天狗の首なりといい、支那にては大流星、奔星の類にして声あるもの即是なりという、本朝にても日本紀にはあまつくつねと讀ましめ、又陰山の獣なりなどとも説けども、後世一般に信ぜらるゝ所は想像上の一種の怪物の名称にして、深山に棲み其形人の如くにして顔赤く鼻高く常に羽團扇を手にして、飛行自在のものとなし、神変不思議の行為を取るという、別に烏天狗あり、その面烏の如く大天狗に従属してその臣僚の如く、身に翼を有して亦飛行自在なりとす、天狗の恠異に就きては古来種々の物語あり、童話あり、絵に図せらるゝもの亦甚だ多し、世に天狗双紙というは、諸道の長者、諸宗の行者慢心して天狗になりしことを諷刺的に画きしものにして、或巻の詞書に「日本国の天狗おほしといへども七類を出でず、是れ即ち興福、東大、延暦、園城、東寺、山臥遁世の僧徒なり。」とあるにも知るべく、南都北嶺の僧徒とも仏祖の本懐に背くを慨したるものなり、天狗草紙七巻の中今存するもの

延暦寺の巻(東京帝室博物館所蔵)、園城寺の巻(前田候爵家、久松子爵家、秋元子爵家所蔵)、東寺醍醐寺高野山巻(東京帝室博物館所蔵)、興福寺巻は徳川家襲蔵とあれども今伝へず、何れも鎌倉時代の筆なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

深山に棲むといぶ想像上の動物、人身で両翼を有し、虎爪雷目、口は鳥の啄の如く、風采は山伏の如く、鼻はに似て高く、飛行自在種々の怪をなすものをいふ、其の名称はもと支那から伝はつたものであるが、その本質は全く一種特有でこれに関する伝説は洽く民間に行はれてゐる。

天狗はあれどもなきが如きものなるから、其所為の何ともさだかに知りがたきやうの事をさして、天狗といふ事多し、いはゆる天狗のつぶて(著聞集、また平家物語)天狗根性(源平盛衰記)天狗倒し(太平記)天狗の矢とり(舜の双紙まんぢう)天狗の投算(狂言記続集)天狗茸(佐夜中山集)天狗頼母子(西鶴が菜花咄これは乞食のこと)天狗俳諸(はいかい葛藤附合)是は今も戯にあり、皆同じ意也、天狗の形を世に写し出しは、京師鞍馬寺の什物に、法眼元信が画ける僧正坊の図なりといふ。(左に役小角右に舎那王をかける大幅なり)春卜が絵本手鑑に、此図を載て云く、元信が家に或人来て、天狗の形を図せむ事を求む、され共いまだ世にその図像なければ、元信も如何せむと思ひしが、其夜夢中に老翁来て、天狗の形を現せるを見て、やがて其像を六尺余りの紙に写し、あつらへたる人のもとへ送りければ、その人よろこびて鞍馬寺に奉納せむとする時、忽空くもり、風起りて霊像おのづから鞍馬に飛去ぬ、元信この由を聞て、我ながら奇しき事に覚へければ、重ねて左右に役行者、牛若両像を写し添たりといふ、(また狩野永納が本朝霊史には、将軍家或夜夢中に一人の山僧を見給ふ、其僧云、我は鞍馬僧正也、願くば君わが像を狩野元信に写させ、寺中に安置し給へとありて、夢さめ給ひければ、其よし元信に仰らるゝに、元信も同じ夢を見たりと申す、やがて其像を図せむとするに、いまだ其像をかけるものなければ、紙上に臨みて手を下す事あたはず、茫然たる折から、蛛はひ来り糸を引て紙面をありく侭に、共跡をとめてこれを見るに、彷彿として其儀表を得しかば、こゝに於て三像画成せり云々、其画、方六尺余なれば、元信が家の門戸狭少なれば、是を出しがたく、檐を破りて持出ぬ、その頃児女の諺に、図出来て風家を破るといへりとあり)。元信も夢に見たらむには、其像を写さむとして当然たるべからず、又仰事もなきに三像をかけるもいかゞ、狭小の矮屋といへども、紙は巻ても出すべきをや、かれこれおぼつかなきことどもなり。此説誕妄なるは勿論ながら、天狗の形は元信始めてかき出せる故、さる記もあんなるにやともいふめれど、猶非なるべし、按ずるに、吉野拾遺二巻、内大臣実守公の鼻の高きをはじめて見たる武士どもは、おそろしがりて、天狗の類ならむといふを聞給ひて、『天狗ともいはゞいはなむ、いはずとも、はなひくからぬ我身ならねば』とあれば、其形を人しりたる也、又壒嚢抄十三天狗名目の事といふ条に、八坂寂仙上人遍融七天狗の絵を画たりといへり、寂仙はいつの人歟、いまだ尋ねざれ共、壒嚢抄は行誉法師が作にて、文安三年の奥書あり、元信は永禄の初めに身まかりし人なれば、是のみにても年代やゝ晩れたり、但し太平記に天狗の事を金の鳶などいへる事も見えたれば、古は多く天狗の顔を、烏の如く嘴を大きに画きしなるべし、今俗人が小天狗といへる形これなり、仮面には胡徳楽のおもて鼻大なり、又、王の鼻とて神社にあるは、猿田彦のおもてには此の面、今の作りざまは天狗の仮面なり。  (筠庭雑録)

なほ俗説に天狗の階級及び大天狗の名といふものを伝へている、階級としては

大天狗、小天狗、烏天狗、善天狗、悪天狗、

大天狗の名は

鞍馬山(僧正坊)愛宕山(太郎坊)比良山(次郎坊)秋葉山(三尺坊)光明山(利鋒坊)彦山(豊前坊)大山(伯耆坊)妙義山(妙義坊)厳島(三鬼神)大峰(前鬼後鬼金平六)葛城山(高間坊)筑波山(筑波法師)富士山(太郎坊)高尾山(内供奉)白峰(相模坊)飯綱山(三郎)肥後(阿闍梨)

天狗の絵としては、伝狩野元信筆鞍馬寺の所蔵が、その古いものとされ、この外に『天狗草紙絵巻』がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)