崇徳天皇

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総合

第75代とされる天皇(在位1123~41)。名は顕仁(あきひと)。鳥羽(とば)天皇第一皇子。母は待賢門院(たいけんもんいん)藤原璋子(しょう し)。元永(げんえい)2年5月28日誕生。実父は鳥羽の祖父白河院(しらかわいん)で、鳥羽は崇徳のことを「叔父子(おじご)」とよんでいたといわれる (『古事談』)。1123年(保安4)5歳で立太子、即日鳥羽より譲位。41年(永治1)3歳の皇太弟体仁(なりひと)親王(近衛(このえ)天皇)に譲 位。しかし院政は鳥羽がとり続け、55年(久寿2)後白河(ごしらかわ)即位により崇徳第一皇子重仁(しげひと)親王即位の望みも断たれた。失意のなかで 翌56年(保元1)藤原頼長(よりなが)と組み保元(ほうげん)の乱を起こしたが敗れて讃岐(さぬき)(香川県)に流される。長寛(ちょうかん)2年8月 26日配所で没す。そのため讃岐院ともよばれる。陵墓は香川県坂出(さかいで)市の白峰(しらみね)陵。 [飯田悠紀子]  『日本大百科全書(ニッポニカ)』


『保元物語』などにおいて讃岐に流された恨みのあまり、天狗になったとされている。


<参考>

日本大百科全書(ニッポニカ) http://www.jkn21.com/body/display/  閲覧日2010/09/29

『跋扈する怨霊』山田雄司 吉川弘文館 2007.8