鞍馬山

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くらまやま


総合

鞍馬山は洛北二里にある峻山にして、老杉巨檜蔚然として全山を掩ひ、瞼岩奇石到る所に突兀して瞼咀いふばかりなく、古来天狗の住める所と称す、山腹に鞍馬寺あり、その昔牛若丸の在りし所、僧正坊に兵法の奥秘を授かり、天狗を封手に劔を修得せりとの俗伝あり、僧正ヶ谷は即ちその遺蹟にして、牛若背競石、桃石、拠石などの名蹟あり、一種紳秘の地として図せらる所も少しとせず、東京美術学校に英一蝶の国あり。

牛若丸剣術修練の図に鞍馬山と題するものあり、天狗を画きて鞍馬と題するものあり、皆逸話に附会したるなり。(『画題辞典』齋藤隆三)


画題

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解説

画題辞典

鞍馬山は洛北二里にある峻山にして、老杉巨檜蔚然として全山を掩ひ、瞼岩奇石到る所に突兀して瞼咀いうばかりなく、古来天狗の住める所と称す、山腹に鞍馬寺あり、その昔牛若丸の在りし所、僧正坊に兵法の奥秘を授かり、天狗を封手に劔を修得せりとの俗伝あり、僧正ヶ谷は即ちその遺跡にして、牛若背競石、桃石、拠石などの名跡あり、一種紳秘の地として図せらる所も少しとせず。東京美術学校に英一蝶の図あり。

牛若丸剣術修練の図に鞍馬山と題するものあり、天狗を画きて鞍馬と題するものあり、皆逸話に附会したるなり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

京都名所の一、古来天狗棲むといはれ、牛若丸の物語で有名である。標高千八百尺。

京都北方の名嶽にして三条大橋を距ること凡そ三里、路を鞍馬口に取り、市原を経るを以てするを順路とす、抑も此山を鞍馬と号するは昔白鳳十一年天武天皇、大友皇子と戦ひ敗績して此山麓に遁れ給ひし時、鞍馬を繋ぎ給へるに因ると、亭々たる老杉全山を掩ふて望見猶ほ夏日の寒きを覚え、巉々たる怪岩径路を遮りて攀躋幾回か昏倒せんとす、山上一寺あり、名けて松尾山鞍馬寺といふ、延暦十六年大中太夫藤原伊勢人の草創する所にして、今の堂は明治四年の再建に係り毘沙門天を本尊とす、堂前東を望めば比叡山の相輪堂遠く望中に入り、幾多の峰巒脚下に起伏して波涛の怒るが如し、望眺壮絶人をして快哉を叫ばしむ、堂の左方より尚ほ山巓に攀づれば、十三四町にして御杉あり、大さ殆んど六囲、繞らすに注連を以てす、伝へて天狗の棲処といふ、義経背競石は上方の峰に立ち、不動堂は御杉の下方四五町に在る、不動堂より三四町の下は所謂僧正谷にして、深樹の中に方九尺許の一祠を建て魔王大僧正を祀る、祠前幾十塊の岩石累々として縦横に俯仰し人工を用ひて庭園を築成したるに似たり、此地は世人の夙に熟知する所、牛若の稽古場にして石面に刀痕の如き者数多あり、又潜石、隠れ石、掴み石、足駄石、硯石、水入石等の名あるもの共中に錯乱せり。  (日本名勝地誌)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)