市川左団次

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いちかわさだんじ


総合


歌舞伎

定紋三升の中に左。屋号高島屋。 初世(天保十三~明治三十七 1842-1904)は四世市川小団次の養子。作者河竹黙阿弥と興行師十二世守田勘弥の庇護を受け団菊とともに明治劇壇の巨星。堅実な芸風で純然たる立役。明治座の創始者。 二世はその子で若い頃から歌舞伎の更生を志し、洋行して帰国後、小山内薫と自由劇場を創設、翻訳劇を上演し新劇の道を開く。新歌舞伎に新生面を開拓したほか、歌舞伎十八番などの古典復興もなす。「鳴神」「毛抜」「慶安太平記」「修禅寺物語」等が当り狂言。 三世は市川男女蔵が昭和二十七年に襲名。六世市川門之助の子で明治三十一年生まれ。軽快洒脱で安定した芸風で、女形と二枚目がことにすぐれ尾上菊五郎劇団結束の中心をなした。