守田勘弥

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もりたかんや


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歌舞伎

定紋丸にかたばみ。屋号喜の字屋。江戸歌舞伎三座の一なる森田座(守田座)の座元として由緒ある家柄。初世森田太郎兵衛は万治三年(一六六〇)木挽町に森田座を建てた。天保十三年(1842)猿若町に移転、安政五年(1858)十一世(四世坂東三津五郎)のとき、自火で焼失、同年七月新築なり、森を守に改めた。 十二世は明治五年都心進出を企て、新富町に移転、劇場の機構制度を革新、同八年新富座と改称した。明治の名興行師として当時の劇界を左右した。 十三世は十二世の三男で俳優。市村座から帝国劇場専属となり、新作や翻訳劇を上演し、劇界に貢献した。古風で美しい容姿で芸域も広かったが、昭和七年四十八歳で没。 十四世勘弥は十三世の甥で養子。明治四十年生まれ、前名しうか。線は細いが整った容姿で、十五世市村羽左衛門ばりの役に好評。