尾上菊五郎

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

おのえきくごろう


総合


歌舞伎

定紋重ね扇に抱き柏。屋号音羽屋。江戸歌舞伎の名家。六世まであるが、初世、三世、五世、六世が特に有名。

初世

享保二年-天明三年(1717-1784) 四条都万太夫座出方の音羽屋半平の子。 女形であったが、大阪に上った二世市川団十郎に見込まれ、江戸に連れ帰えられ立役に変る。美貌で風姿よく、舞台華やかで人気を集め、宝暦、明和期の大立物となる。特に「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助は賞讃され、度々演じて成功した。 若方女尾上左門の門人尾上竹太郎と名乗っていたが、尾上菊五郎と改め享保15(1730)年11月京榊山座「詠楽四季金」に若衆形色子として采女役で初舞台を踏む。これより若女方を専芸とする。 時代物、世話物に適し、立役に転じてから武道事を本領とした。妻は初代坂東彦三郎の娘、子2代目菊五郎、門人に松縁・鯉三郎・多見蔵などがいる。 〔引用〕『新訂増補 歌舞伎人名事典』日外アソシエーツ株式会社 2002.6

三世

天明四年-嘉永二年(1784-1849) 初世尾上松助の養子。のち菊五郎の名跡をつぎ三世となる。 化政度の名優。容貌風采は当代随一と評判され、世話物が得意で、親松助譲りの早替り仕掛物に特技をあらわす。中でも十九世紀初頭の頽廃した社会に取材した鶴屋南北作「東海道四谷怪談」は、生涯の当り狂言。

五世

弘化元年-明治三十六年(1844-1903) 九世市川団十郎とともに明治を代表する名優。特に生世話物河竹黙阿弥の新作によって好評を博した。前名市村羽左衛門(十三世)、市村家橘。 風姿に優れ、写実的演技に、形式美を見せた。また舞踊をもよくした。家芸「新古演劇十種」を制定した。

六世

明治十八年-昭和二十四年 五世の長男。大正昭和の名優。研究心旺盛で、時代、世話、新作と芸域も広く、立役から女形まで演じ、舞踊もまた名手と称された。日本俳優学校を設立したこともある。晩年芸術院会員に推 され、昭和二十四年俳優最初の文化勲章をうけた。当り役は髪結新三(かみゆいしんざ)、暗闇の丑松、権太、按摩道玄、鏡獅子、土蜘等。