立命館大学アート・リサーチセンター所蔵
浮世絵名品展 第二期 出品目録

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馬切り 解説へ
三代目歌川豊国(大判錦絵2枚続)                    UY0052,0053
「一造寺播磨」「福原駒之丞」
「三七郎義高」
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安政5年(1858)7月14日 守田座
こまむかいたのみのつみこみ
駒迎田実入魁込 一番目五立目 大和橋の場

一造寺播磨<3>市川市蔵、福原駒之丞<1>中村福助
三七郎義高<8>片岡仁左衛門
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「馬切り」という芝居が繰り返し上演されるうちに、信孝にかかる捕手や侍に、名題役者がご馳走として付き合う演出が作られた。この作品を見ても<8>片岡仁左衛門演じる義高に、当時売り出し中の花形役者であった<1>中村福助や<3>市川市蔵がいわゆるご馳走で付合ったように思われる。しかし、『江戸芝居番付朱筆書入れ集成』のこの芝居の項を見ると、中村座と守田座を掛け持ちの予定であった中村福助が、結局守田座には出勤しなかった事が記載されている。この記述から、この作品が実際の上演を待たずに、予定稿として刊行された作品であることがわかる。

歌川豊斎(大判錦絵3枚続)          UY0350,0351,0352
「歌舞伎座新狂言」「庄屋 尾上松助」
「三七郎信孝 市村羽左衛門」
「馬士小平太 市川八百蔵」
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明治37年(1904)1月13日 歌舞伎座
ちゅうこううめかなさわ       さんぜりょうはるのくらいり
忠孝梅金沢 中幕上 三千両初春蔵入

庄屋<4>尾上松助、三七郎信孝<15>市村羽左衛門
馬士小平太<7>市川八百蔵
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駿河大納言忠長の息子、松平長七郎が大坂日本橋で、馬士を斬って紀州家の御用金を奪ったという話は、実録本などにより巷間に知られた話。寛政6年に大坂角の芝居で上演された「けいせい青陽 (はるのとり)」の四幕目に仕組まれ、以後この一幕のみが独立し、様々な作品に取込まれ盛んに上演された。この作品が取材した明治37年の歌舞伎座上演のおりは、中幕の上として、完全に独立した一幕物として上演された。三七郎信孝が着る着物には、正面摺と呼ばれる紙の表から摺る技法を用いて、絹物が持つ独特の光沢を表現している。尚、信孝の締める帯の橘の模様は、信孝を演じた市村羽左衛門の家紋。

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