立命館大学アート・リサーチセンター所蔵
浮世絵名品展 第二期 出品目録
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忠臣蔵 解説へ
初代歌川国貞(大判錦絵3枚続)    UY0125,0126,0127
「一文字や才兵へ 坂東三津五郎」
「おかる 坂東玉三郎」
「早のかん平 沢村訥升」
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天保6年(1835)8月6日 森田座
かなでほんちゅうしんぐら
仮名手本忠臣蔵

一文字や才兵衛<4>坂東三津五郎、
おかる<1>坂東玉三郎、早のかん平<1>沢村訥升
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「忠臣蔵」六段目冒頭場面を描いたもの。おかるが祇園の一文字屋という遊女屋に身売りされる時に、猟に出ていた夫勘平が帰ってきて、おかるの乗った駕籠を止める。この場面は、現行の舞台では勘平が「狩人の女房がお駕籠でもあるめえじゃねえか」と江戸っ子風の台詞を用い、見せ場の一つとされる。本図は天保4年市村座上演時の絵(参考図)の版木を流用し、<1>訥升と<1>玉三郎の顔と役者名の部分のみを彫り直している。勘平の衣装の格子模様は<3>尾上菊五郎の用いた菊五郎格子で、衣装の部分は改刻されずもとのまま残されたため、役者が訥升であるにも拘らず衣装には菊五郎格子と呼ばれる格子模様で描かれ、役者と衣装が食い違った不思議な図となったのである。

三代目歌川豊国(大判錦絵1枚)            shiUY0307
「寺岡平右衛門」「妹おかる」
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嘉永4年(1851)2月24日 市村座
かなでほんちゅうしんぐら
仮名手本忠臣蔵 七段目裏

寺岡平右衛門<8>市川団十郎、妹おかる<1>坂東しうか
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この作品は、一見すると「仮名手本忠臣蔵」七段目の後半部分を描いたように見える作品である。しかしこの作品と、当時の絵本番附と照し合せると、この時の上演では一力茶屋の場は、上演されおらず、その代わりに「宅兵衛上使」の件が上演されたようである。この事からこの作品が、上演に先だって刊行された作品であることがわかる。飾間宅兵衛と名乗って、大星の閑居に上使としてあらわれた寺岡平右衛門が、祇園町で遊女となっている妹お軽を殺し、旧主の未亡人顔世御前の身替りとするというのが、この「宅兵衛上使」の大まかな粗筋。

三代目歌川豊国(大判錦絵3枚続)   UY0066,0067,0068
「早野勘平 坂東彦三郎」
「こし元おかる 沢村田之助」
「鷺坂伴内 中村勘太郎」
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文久2年(1862)3月28日 中村座
かなでほんちゅうしんぐら
仮名手本忠臣蔵 三段目 鎌倉殿中の場

早野勘平<5>坂東彦三郎
こし元おかる<3>沢村田之助
鷺坂伴内<1>中村翫太郎
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現在の一般的な通し上演では「道行旅路の花聟」にとって代わられることの多い、三段目裏門の場面を描く。塩冶判官の家臣早野勘平は、同じ家中の腰元のお軽と、束の間の逢瀬を楽しんでいたために、判官の刃傷事件で上へ下への騒ぎとなっている足利館へ入ること叶わず、申訳のために切腹しようとする。しかしお軽になだめられ、お軽の実家のある京、山崎の里へと落延びようとするが、そこへ高師直の家臣鷺坂伴内がやって来て、二人の行く手を阻む。勘平はこともなげに伴内を蹴散らし、お軽と共に京へ向かうというのがこの場面の粗筋。尚、伴内の褌には、布目摺と呼ばれる布目の質感をだすための、特殊な技法が用いられている。

歌川豊斎(大判錦絵3枚続)             UY0128,0129,0130
「歌舞伎座十月狂言」
「細川越中守 尾上菊五郎」
「大石蔵之助 市川団十郎」
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明治34年(1901)10月6日 歌舞伎座
      かんばしやぎしのほまれ
一番目 芳哉義士誉

細川越中守<5>尾上菊五郎、
大石蔵之助<9>市川団十郎
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この作品が取材した狂言は、忠臣蔵の後日物語。吉良邸討ち入り後、細川家へお預けとなった大石内蔵之助を、浪士達の世話役を勤めた堀内伝右衛門の日記に基づいて、福地桜痴が執筆した作品。桜痴の作品の中でも最も不評を買った作品で、僅か二十人の観客で幕を開けたという話が残るほど、記録的な不入りとなった。描かれた場面は、切腹の沙汰が下った大石と細川家の当主細川越中守が別れの杯を交わす場面。お預けの身ゆえに、大石の月代が伸びかかっている細かい描写が目をひく。背景に散らした九曜星の紋は細川家の家紋。

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