B1-3 小野川喜三郎

年代:安永9年(1780)10月
所蔵:小島貞二コレクション
資料no:kojsp02-023kokojSP02-023kojSP02-023jSP02-023

 谷風梶之助の好敵手であり、後に同時に横綱を許された小野川喜三郎安永8年10月場所、東二段目1枚目に大坂から東上し番付に名前が載った。しかしこの場所と翌安永9年3月場所と番付に名前を載せながら出場しなかった。初めて江戸の土俵に上ったのは番付に名前を出してから1年後、安永9年10月場所東二段目5枚目に位置したときからである。画像はその時の番付を掲げている。小野川は近江国大津の出身で15歳の時に大坂の草摺岩之助の門に入り相撲修行を始めた。最初相模川、後に小野川と名のり、大坂相撲で幕下に上がったときに江戸に下った。時に19歳。このとき谷風梶之助は既に実力者として関脇に君臨し無敵の強さを誇っていた。画面にある安永9年10月場所は小野川が最初に江戸で相撲を取った場所であり谷風vs小野川の最初の取組があった場所でもあった。谷風とは5日目に対戦して突出しで谷風の勝利だった。大坂下りの幕下力士小野川と無敵谷風との一戦は注目を浴びたわけではなく『武江年表』には記載がない。この場所谷風は8勝1預で最高成績者であった。小野川は谷風と幕内力士の越ノ海に敗れ8勝2敗とまずまずの成績であった。その後久留米藩有馬候のお抱え力士となった小野川は藩侯のお供で久留米に行き場所を欠場したことが再々あった。また藩侯を夜な夜な悩ます妖怪を小野川の豪胆で退治したという伝説が後世芳年の浮世絵で描かれている。

 小野川は身長5尺8寸(約176㎝)、体重31貫(約120㎏)で、谷風と比べると一回り小柄であったが、動きが早く隙のない技能的な相撲であった。実際寛政9年(1797)10月に引退するまで足掛け17年間、総取組数は173、勝144、負13、預9、引分4、無勝負3という成績で、負け13の内谷風に4回、雷電に2回負けており、その他7人の力士に1回ずつ負けているだけである。谷風雷電にはやや劣るもののこれだけ強かった力士はその後も出ていない。寛政元年11月場所谷風とともに横綱を許されたがその資格は十分にあった。谷風と並んで当時の浮世絵師春章、春好、春英、春潮によく描かれている。柔和の顔で「相撲人形のやうな」と評された。

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