B1-4 雷電為右衛門

年号:寛政3年(1791)11月
所蔵:小島貞二コレクション
資料no:kojSP02-054

 大豪雷電為右衛門が初めて江戸相撲の番付に載ったのは寛政2年(1790)11月場所である。谷風の内弟子になって数年、実力を蓄えて満を持して西関脇に付出された。この時24歳、身長6尺5寸(約197㎝)、体重45貫(約169㎏)と伝わる。デビュー場所を8勝2預で優勝相当の成績を挙げた。残念ながら小島貞二コレクションにはこの寛政2年11月場所、次の寛政3年4月場所の番付は所蔵しておらず画像はない。小島貞二コレクションで雷電為右衛門の名前がある最初の番付は画像に掲げた寛政3年11月場所である。この場所、谷風は全休、東大関小野川は出場して8勝1預、雷電為右衛門は西関脇で8勝1預と小野川と同成績、預は対小野川戦でのものである。登場してからわずか3場所目であるが無敵の強さを発揮している。

 雷電為右衛門は信州小県郡大石村に明和4年(1767)に生まれた。幼名太郎吉といい、幼い時から怪力で有名であった。相撲好きの庄屋上原源五右衛門という人の家に居候をして相撲の稽古の傍ら読み書きを習い学問に精励した。天明3年(1783)太郎吉が18歳の時に江戸相撲の浦風一行が巡業の途中にこの源五右衛門を頼ってきた。源五右衛門は太郎吉を浦風に託し江戸に下った。谷風の内弟子になりさらに数年修行をして、天明8年(1788)雲州松江藩のお抱え力士となった。このように太郎吉少年は雷電為右衛門という雲州所縁の名前をもらい24歳の寛政2年11月場所から満を持して江戸の土俵に登場したのであった。

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