B1-1 谷風梶之助

年号:明和6年(1769)4月
所蔵:小島貞二コレクション
資料no:kojSP01-027

 江戸時代の人々に最も愛された力士の中の力士、谷風梶之助。歴史上初めて横綱を締めて一人土俵入りを行った真の横綱第一号である。巨大な体格と無類の強さを誇り、将に第一人者として26年の長きにわたり活躍した。町人文化が華やかに展開した天明寛政期に江戸三幅対として浮世絵に描かれた江戸を代表する有名人でもあった。
 その谷風は初め伊達ヶ関森右衛門として明和6年4月の番付にいきなり西方大関として登場した。画像はそのときの番付である。谷風梶之助は寛延3年(1749)8月奥州宮城郡霞目村で生まれ幼少の頃から抜群の体格であった。19歳の時に関ノ戸憶右衛門に見いだされ相撲界に入った。伊達ヶ関として番付に登場したとき20歳で身長6尺2寸5分(約190㎝)体重43貫(約161㎏)であった。いきなり西の大関で登場したのは、当時の興行政策であり巨大な若者を探してきて実力を問わずに大関に据えるという所謂看板大関であったからである。本当の実力者は関脇以下の力士であり、当座の大関は相撲を取ることは少なく、取ったとしても看板大関同士あるいは下位の力士との顔合わせで、多くはその場所限りで姿を消した。ところが伊達ヶ関は初登場の場所を4戦全勝で乗り切った。

 伊達ヶ関は当初看板大関のはずであったが実際に相撲を取っても強かった。次場所から伊達ヶ関を達ヶ関と改め大関として三場所務めた。出場した場所は滅多に負けることなく快進撃を続けた。明和7年11月場所、達ヶ関は大関から西前頭筆頭に落ちた。しかしこれは看板大関から真の幕内力士の実力を認められたことを示しており現在でいう降格ではない。安永5年10月場所に小結で谷風梶之助と改名しいよいよ強さを増していく。

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