船鉾の曳き手

ID:nagaeke_0168、資料形態:ガラス乾板(105×80㎜)

 船鉾から伸びた2本の綱の間から、撮影された迫力ある写真です。撮影者も歩きながら撮影したのか、ピントが合っておらず、大きくブレてしまっています。しかし、むしろそれが巡行の迫力を演出しているともいえ、関係者でないと撮影できないアングルということもあって貴重な写真です。高度経済成長期以前の京都には、都市部と近郊農村との間にし尿を媒介とした取引関係が存在していました。各山鉾の曳き手や舁き手には、そのような関係を頼りとして、近郊の農家から人々を集めていました。町内の伝承によると、船鉾では丹波の亀岡辺りの農家から曳き手が集められていたそうです。高度経済成長期には、下水の整備や化学肥料の普及、近郊の都市化によって、し尿を媒介とした取引関係が失われるとともに、近郊の農家による曳き手の請負は、次第になくなっていきました。その代わりに、市内の大学の運動部がアルバイトとして曳き手を担うようになり、現在では市民ボランティアが広く参加する形になっています。

arrow_upward