内外に認められた儒学者
04.標箋孔子家語

タイトル:標箋孔子家語
資料番号:FB.769.1
 ロックハート卿は在任中に白人の中ではよく知られた儒学者でした,現地の人たちの文化や風習を常に尊重し,当時のヨーロッパからの入植者の中では「チャイニーズプロテクター」と皮肉られるほどでした。しかし,のちにその手腕が評価され,中国北部の山東省の威海衛の管理を任されるようになりました。そこでは会得した儒学を応用し,孔子の76代の嫡孫,衍聖公の孔令貽(1872 - 1919)と親交を持つようになりました。本人から自注入りの『聖賢像賛』を恵贈され(スコットランド国立図書館にあり),現地の官僚からも儒学の書物を贈与されることも多かったようです。


figure01.jpg
 本書は和刻本ですが,表紙と裏表紙が付け替えられており,装飾のための銀箔もちりばめられています。題簽も布に置き換えられており,日本で出版される書物ではほとんど見られない遊び紙(表紙と書物中身との間に挟まれる空白の紙のこと)も付けられています。おそらく贈り物として使用される前に施した加工でしょう。遊び紙に「Presented to me by Chou Fu, Govenor of Shantung, J.H. Stewart Lockhart, Weihaiwei, 1903」とロックハート卿直筆のメモが残されています。

FB.769.01_003.jpg

 周馥(1837 - 1921)は現地の官僚で,実業家でもありました。1903年当時は山東巡撫(山東省の地方長官)でしたが,翌年から両広總督(広東・広西省両省の地方長官)に抜擢されました。


figure02.jpg
 刊記によりますと寛政1年の刊行ですが,注釈は寛保2年,頭注は天明7年です。注釈は太宰春台(1680 - 1747),江戸中期の儒者,荻生徂徠や服部南郭に師事し,経世論でよく知られています。頭注を施した千葉芸閣(1727 - 1792)も江戸中期の著名な儒者でした。『孔子家語』は孔子およびその門下の弟子達の言行を記録した書物です,『論語」と並びに儒学の基本文献の一つとしてよく知られます。

arrow_upward