仏塔の源流:サーンチー第1塔その1

サーンチー第1塔
マディア・プラデーシュ州、インド
紀元前3~後1世紀

 インドにおける初期の仏塔は、お椀を伏せたような半球型をしています。この半球部分のことを覆鉢(伏鉢。ふくばち)と言います。日本など東アジア地域でなじみのある三重塔や五重塔などとは、随分と形状が異なっていますね。
 ご覧いただいている仏塔は、インドのマディヤ・プラデーシュ州サーンチーにあります。サーンチーには、紀元前後ころまで遡る三基の仏塔が現存する寺院遺跡があります。この第1塔は、三基のうち最大のもので、覆鉢を支える基壇部分の直径が約30mもあります。
 サーンチーの三基の仏塔のうち、第2塔が最も古く紀元前1世紀とされ、いっぽうこの第1塔は、その煉瓦積みの原形部分は、紀元前3世紀まで遡るとされるものの、現在、その表面を覆っている石積みと、仏塔を取り囲む欄楯(らんじゅん)と呼ばれる石垣は、紀元後1世紀までに追加されたものと考えられています。欄楯には東西南北の四カ所に塔門があり、そこを通って、仏塔外壁の南側に設けられた階段(画面では仏塔の向かって右下に少し見えています)から、仏塔の中段の高さまで登ることが出来ます。

 これら仏塔に対しては、周囲を時計回りにめぐって礼拝・供養する右繞(うにょう)がおこなわれたと考えられ、この第1塔も欄楯の内側および階段で登った中段部分は、ともに一周することができるようになっています。

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