この展示コーナーについて

 仏塔は、インドの古い言葉(サンスクリット語)でストゥーパ(stūpa)と呼ばれます。ガンジス川流域を活動拠点として、仏教を開いた釈迦(ゴータマ・シッダールタ。紀元前566~前486年もしくは紀元前463~前383年)が亡くなった際、その遺骨である仏舎利(ぶっしゃり)をめぐり、仏教を信奉する人々の間で争いが起きました。やがて、仏舎利を八つの国や部族に分配することで決着がつきます。舎利が分配された八つの地域では、仏舎利を納めるために塔が築かれました。これが、仏塔の始まりとされています。その後、インド各地に仏塔は建立され、さらに仏教の伝播したアジア各地域にも仏塔が建立されました。
 この展示コーナー「アジアの仏塔とボロブドゥール」では、まず前半の「仏塔の源流」と「中国の仏塔」において、インドおよびその周辺地域における早期の仏塔がどのような形をしていたか、それがシルクロードを経て東アジアに伝わると、どのような形に変化するのかを概観します。そして後半の「ボロブドゥール」および「ボロブドゥールの浮彫」では、インドネシアの世界遺産ボロブドゥール遺跡を詳しく取り上げ、インドから東アジアにかけての仏塔展開との類似点や相違点について、考えてみることにします。
 ところで、日本語で小さな仏塔のことを、卒塔婆(そとうば)と言いますよね。これはストゥーパを漢字で音写したもので、仏塔・ストゥーパ・卒塔婆は、本来、同じものを指すわけです。
 さぁ、それでは仏塔を巡る旅へと出かけることに致しましょう!

▼インドのビハール州にあるヴァイシャーリー古塔の遺構(現在は遺構が残るのみですが、釈迦が亡くなった後、最初に建造された八つの仏塔のうちのひとつである可能性が指摘されています)

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