錦絵の板木(三代広重画「立斎漫画」)

三代歌川広重画「立斎漫画」板木 「夕立やさもなき人の腕まくり」「山家の梅」「神楽の種蒔」
明治12年(1879)
横27.0×縦39.2cm
立命館大学アート・リサーチセンター所蔵(arcMD01-0658)

活字ではなく、整板(板木に印刷する内容を彫り込む)という印刷手法を採用した場合、絵画の印刷や、文字と絵の組み合わせの自由度が高まるなどの利点があり、日本では17世紀以降、浮世絵や絵本といった分野が進展していきました。浮世絵は墨摺り、筆彩(紅絵、漆絵)、2~3色の色摺りを施した紅摺絵、多色摺の錦絵へと発展していきますが、その重ね摺り技法を可能としたのが、主板と色板の版ズレを防ぐ「見当」でした。見当は、展示品では板木の左下角にある鉤見当(L字の彫り込み ※展示品は損傷により、L字の横線は見えづらくなっています)、そこから上方に移動したあたり(雷神の左横)に見られる引き付け見当の2種が1組となり、これらを全ての板木に彫り込み、紙を合わせ当てて摺刷することにより、版ズレ防止を実現しています。錦絵は鈴木春信の時代に成立したと言われており、明和4年(1767)『寝惚先生文集』巻之一に「忽ち吾妻錦絵と移ってより、一枚の紅摺沽ざる時、鳥居は何ぞ敢て春信に勝わん、男女写し成す当世の姿」(訓読)と詠まれており、それ以前の版画の質を凌駕する存在として迎えられたことがうかがえます。むろん、見当以外にも、種々の彫摺技術と組み合わさって表現の幅は広がっていきました。またこれらの技法は、近代以降の新版画や創作版画の中にも活かされています。

arrow_upward