●敦盛（あつもり）
夢の世なれば驚きて。
夢の世なれば驚きて。
捨つるや現なるらん
これは武蔵の国の住人。
熊谷の次郎直実出家し。
蓮生と申す法師にて候。
さても敦盛を手に掛け申しゝ事。
余りに御傷はしく候程に。
かやうの姿となりて候。
又これより一の谷に下り。
敦盛の御菩提を弔ひ申さばやと思ひ候
九重の。
雲居を出でゝ行く月の。
雲居を出でゝ行く月の。
南に廻る小車の、
淀山崎をうち過ぎて。
昆陽の池水生田川、
波こゝもとや須磨の浦、
一の谷にも，着きにけり
一の谷にも着きにけり
急ぎ候程に。
津の国一の谷に着きて候。
実に昔の有様今のやうに思ひ出でられて候。
又あの上野に当つて笛の音の聞え候。
この人を相待ち。
この辺の事ども委しく尋ねばやと思ひ候．
草刈笛の声添へて。
草刈笛の声添へて
吹くこそ野風なりけれ．
かの岡に草刈る男子野を分けて。
帰るさになる夕まぐれ．
家路もさぞな須磨の海。
少しが程の通路に。
山に入り浦に出づる。
憂き身の業こそもの憂けれ
問はゞこそ、
独り侘ぶとも答へまし
須磨の浦。
藻塩誰とも知られなば。
藻塩誰とも知られなば。
我にも友のあるべきに。
余りになれば侘人の、
親しきだにも疎くして。
住めばとばかり思ふにぞ、
憂きに任せて過すなり、
憂きに任せて過すなり．$1≧
いかにこれなる草刈達に尋ね申すべき事の候．
此方の事にて候か何事にて候ぞ．
只今の笛は方々の中に吹き給ひて候か．
さん候我等が中に吹きて候．
あら優しや。
その身にも応ぜぬ業。
返す／゛＼も優しうこそ候へ．
その身にも応ぜぬ業と承れども。
それ勝るをも羨まざれ。
劣るをも賎しむなとこそ見えて候へ。
その上樵歌牧笛とて．
草刈の笛木樵の歌は。
歌人の詠にも作り置かれて。
世に聞えたる笛竹の。
不審な為させ給ひそとよ．
ワキ「げに／＼これは理なり。
さて／＼樵歌牧笛とは．
草刈の笛．木樵の歌の．
「憂き世を渡る一節を．
謡ふも．「舞ふも．吹くも．遊ぶも．
「身の業の。
好ける心に寄竹の。
好ける心に寄竹の。
小枝蝉折様々に。
笛の名は多けれども。
草刈の、
吹く笛ならばこれも名は。
青葉の笛と思し召せ。
住吉の汀ならば
高麗笛にやあるべき。
これは須磨の塩木の、
海士の焼残と思し召せ、
海士の焼残と思し召せ．
不思議やな余の草刈達は皆々帰り給ふに。
御身一人留まり給ふ事。
何の故にてあるやらん．
何の故とか夕波の。
声を力に来りたり。
十念授けおはしませ．
易き事十念をば授け申すべし。
それにつけてもおことは誰そ．
真は我は敦盛の。
所縁の者にて候なり．
所縁と聞けば懐かしやと。
掌を合はせて南無阿弥陀仏．
若我成仏十方世界。
念仏衆生摂取不捨．
捨てさせ給ふなよ。
一声だにも足りぬべきに。
毎日毎夜のお弔ひ。
あらありがたや我が名をば。
申さずとても明暮に。
向ひて回向し給へる。
[13.その名は我と言ひすてゝ、
姿も見えず，失せにけり
姿も見えず失せにけり．
（中入）
これにつけても弔ひの。
これにつけても弔ひの。
法事を為して夜もすがら。
念仏申し敦盛の。
菩提を尚も，弔はん
菩提を尚も弔はん．≧
淡路潟通ふ千鳥の声聞けば。
ねざめも須磨の。関守は誰そ。
いかに蓮生。
敦盛こそ参りて候へ．
不思議やな鳧鐘を鳴らし法事を為して。
まどろむ隙もなき処に。
敦盛の来り給ふぞや。
さては夢にてあるやらん．
何しに夢にてあるべきぞ。
現の因果を晴さん為に。
これまで現れ来りたり．
うたてやな一念弥陀仏即滅無量の。
罪障を晴さん称名の。
法事を絶えせず弔ふ功力に。
何の因果は荒磯海の．
深き罪をも弔ひ浮かめ．
身は成仏の得脱の縁．
これ又他生の功力なれば．
日頃は敵．今は又．
真に法の．友なりけり．
これかや。
悪人の友を振り捨てゝ、
善人の。
敵を招けとは。
御身の事かありがたや。
ありがたしありがたし。
とても懺悔の物語、
夜すがらいざや，申さん
夜すがらいざや申さん≧
それ春の花の樹頭に上るは。
上求菩提の機を勧め。
秋の月の水底に沈むは。
下化衆生の。相を見す．
然るに一門門を並べ。
累葉枝を連ねしよそほひ．
実に槿花一日の栄に同じ。
善きを勧むる教へには。
遇ふ事難き石の火の。
光の間ぞと思はざりし、
身の習はしこそはかなけれ．
上にあつては。下を悩まし．
富んでは驕りを。知らざるなり．
然るに平家。
世を取つて二十余年。
実に一昔の。
過ぐるは夢の中なれや。
寿永の秋の葉の。
四方の嵐に誘はれ、
散り／ﾞ＼になる一葉の。
舟に浮き波に臥して
夢にだにも帰らず。
篭鳥の雲を恋ひ。
帰雁列を乱るなる。
空さだめなき旅衣。
日も重なりて年月の。
立ち帰る春の頃、
この一の谷に篭りて、
暫しは此処に須磨の浦．
後の山風吹き落ちて．
野も冴えかへる海際に。
船の夜となく昼となき。
千鳥の声も我が袖も。
波に萎るゝ磯枕。
海士の苫屋に共寝して。
須磨人にのみ磯馴松の。
立るや夕煙、
柴と云ふもの折り敷きて。
思ひを須磨の山里の。
かゝる所に住まひして。
須磨人になり果つる、
一門の果ぞ悲しき．
さても如月六日の夜にもなりしかば。
親にて候経盛我等を集め。
今様を謡ひ舞ひ遊びしに．
さてはその夜の御遊びなりけり。
城の内にさも面白き笛の音の。
寄手の陣まで聞えしは．
それこそさしも敦盛が。
最期まで持ちし笛竹の．
音も一節を謡ひ遊ぶ．
声々に．
拍子を揃へ声を上げ．
さる程に。
御船を始めて．
一門みな／＼
船に浮かめば
乗り後れじと。
汀にうち寄れば。
御座船も兵船も
遥かに延びた
せん方波に駒を控へ。
呆れ果てたる。有様なり。
かゝりける処に．
後より。
熊谷の次郎直実。
遁さじと。追つ駆けたり
敦盛も。
馬引き返し。
波の打物抜いて。
二打
三打は打つぞと見えしが
馬の上にて。引つ組んで。
波打際に。落ち重なつて。
終に。
討たれて失せし身の。
因果はめぐり逢ひたり
敵はこれぞと討たんとするに。
仇をば恩にて。
法事の念仏して弔はるれば。
終には共に。生まるべき、
同じ蓮の蓮生法師。
敵にてはなかりけり、
跡弔ひて，賜び給へ、
跡とむらひて賜び給へ