●後見
舞台上で、演者のさまざまな補助をする。シテ方から勤めるのが基本で、後見座とよばれる囃子方の後ろに座る。通常は二人で、ときとして三人になることもある。
シテになんらかの問題が起り、続行することができなくなったときなどに、代役として演ずることが大きな仕事であるが、シテの装束を直したり、作り物の引き回しなど、進行の手伝いをする。
ワキ方、狂言方、囃子方にも後見がつくことがある。
舞台上で、演者のさまざまな補助をする。シテ方から勤めるのが基本で、後見座とよばれる囃子方の後ろに座る。通常は二人で、ときとして三人になることもある。
シテになんらかの問題が起り、続行することができなくなったときなどに、代役として演ずることが大きな仕事であるが、シテの装束を直したり、作り物の引き回しなど、進行の手伝いをする。
ワキ方、狂言方、囃子方にも後見がつくことがある。
玄翁という修行者が奥州より都へ行く途中、下野国那須野ヶ原へやってくる。空を飛ぶ鳥が石の上で落ちるので、不思議に思っていると、里の女が現れ、この石は恐ろしい「殺生石」と呼ばれる石で、生き物を殺してしまうから、近づかないように忠告する。
玄翁がわけを尋ねると、昔、鳥羽院に仕えていた玉藻の前という方が、王道を亡ぼそうとして天子を病気にしたが、化生のものであると見破られ、逃げてここにたどり着き、この場所で殺されたのであると語る。そして、自分は、その石魂(いしだま)であると明かし、夜になったら本性を現すであろうといって、石の中にかくれてしまう。
<中入>
玄翁が供養していると、殺生石は二つに割れて、野干が現れ出る。自分は、天竺・中国・日本を股にかけて悪事をはたらいた老狐であり、安倍泰成の祈祷に調伏せられて空を飛んで那須野に隠れ住んだが、その後も、三浦介や上総介に那須野を狩り尽さされ、ついには射伏せられて、命を失ったものである。
その後も、多年にわたり、人を殺してきたが、今回、有難い供養を受けたので、今後はけっして悪事は働かないと約束して、消え失せる。
能は舞台上では音楽と身体の表現が一つにまとまって演じられますが、大きく音楽と所作にわけて説明することも可能です。ここでは、映像や音によって、作品を鑑賞していきます。
また、音楽と所作についての説明もこの章で行います。
座敷に聴衆をあつめて、素謡を披露するために催される会のこと。京都では、立って舞う仕舞よりも、素謡が盛んで、「京観世」という謡い方があったほどである。
現在、素謡は、聴衆の前に出て謡うが、謡講では、謡い手が障子や御簾の内で謡うものである。