2007年01月15日

●後見

舞台上で、演者のさまざまな補助をする。シテ方から勤めるのが基本で、後見座とよばれる囃子方の後ろに座る。通常は二人で、ときとして三人になることもある。
シテになんらかの問題が起り、続行することができなくなったときなどに、代役として演ずることが大きな仕事であるが、シテの装束を直したり、作り物の引き回しなど、進行の手伝いをする。
ワキ方、狂言方、囃子方にも後見がつくことがある。

2007年01月14日

●せっしょうせき(殺生石)

 玄翁という修行者が奥州より都へ行く途中、下野国那須野ヶ原へやってくる。空を飛ぶ鳥が石の上で落ちるので、不思議に思っていると、里の女が現れ、この石は恐ろしい「殺生石」と呼ばれる石で、生き物を殺してしまうから、近づかないように忠告する。
 玄翁がわけを尋ねると、昔、鳥羽院に仕えていた玉藻の前という方が、王道を亡ぼそうとして天子を病気にしたが、化生のものであると見破られ、逃げてここにたどり着き、この場所で殺されたのであると語る。そして、自分は、その石魂(いしだま)であると明かし、夜になったら本性を現すであろうといって、石の中にかくれてしまう。
<中入>
玄翁が供養していると、殺生石は二つに割れて、野干が現れ出る。自分は、天竺・中国・日本を股にかけて悪事をはたらいた老狐であり、安倍泰成の祈祷に調伏せられて空を飛んで那須野に隠れ住んだが、その後も、三浦介や上総介に那須野を狩り尽さされ、ついには射伏せられて、命を失ったものである。
その後も、多年にわたり、人を殺してきたが、今回、有難い供養を受けたので、今後はけっして悪事は働かないと約束して、消え失せる。

2007年01月07日

●生田敦盛(いくたあつもり)

黒谷の法然上人が賀茂のへ参詣のした帰途のこと、下り松の下で美しい男の捨子を見つけて拾って帰った。十余歳に成長したころ、説法の後にこのことを聴衆の前で話すと、若い女が走り出て、自分がその子の母であり、その子の父は平敦盛であると名乗った。
その子は、賀茂明神へ参詣して父との対面を祈ると、生田の森へ行けとの霊夢を蒙った。生田き、日が暮れたので、ある庵に宿を借りようとすると、甲冑姿の敦盛の霊が現れる。敦盛は、一の谷での物語をして、親子の対面を喜び、舞を舞う。そこへ閻魔王からの迎い、修羅の敵も現れる。敦盛は修羅道の苦患を受けるが、やがて暁になり、霊の回向を頼み、消え失せるのであった。

●音楽と所作

能は舞台上では音楽と身体の表現が一つにまとまって演じられますが、大きく音楽と所作にわけて説明することも可能です。ここでは、映像や音によって、作品を鑑賞していきます。
また、音楽と所作についての説明もこの章で行います。

2007年01月04日

●つるかめ(鶴亀)

新春、中国の王宮では、多くの臣が皇帝の前に集まり、節会が開かれている。官人が口開きをして、荘重な囃子で皇帝が現れる。臣下がめでたさを讃えると、鶴と亀が現れて、皇帝に長寿を奉げる。皇帝は御感のあまり自ら舞を舞い、輿に乗って長正殿に還御する。

2006年12月31日

●片幕(かたまく)

揚幕の開け方の一つで、囃子方、後見、アイなどが登退場する場合に、揚幕の片端をあけて出入すること。
⇒本幕

●上ゲ扇(あげおうぎ)

開いた扇を、表側が演者のほうに向くように顔の前に出し、左右左の順で三足下がりながら扇を上げて右へ降ろす。
上げ端扇(あげはおうぎ)ともいう。

●謡講(うたいこう)

座敷に聴衆をあつめて、素謡を披露するために催される会のこと。京都では、立って舞う仕舞よりも、素謡が盛んで、「京観世」という謡い方があったほどである。
現在、素謡は、聴衆の前に出て謡うが、謡講では、謡い手が障子や御簾の内で謡うものである。

●舎利(2006.10.二条城台所)

⇒鑑賞する

(シテ)片山清司
京都市主催 京の華舞台

解説:石淵文栄

2006年12月13日

●舎利(しやり)

出雲の国の僧が都の仏閣を一見しようと都にやってくる。唐渡りの十六羅漢や仏舎利を拝むために、東山の泉涌寺に来た。寺男の案内で、僧が仏舎利を拝み感涙にむせていると、里人がきて、一緒に拝み、
泉涌寺を見ると釈迦在世にあったような心地がすると仏舎利のいわれを語る。そのうち、空かき曇り、稲妻が走る。そして、里人の顔は鬼と化して、自分は、昔舎利を望んだ足疾鬼(そくしっき)の執心であるとかたる。牙舎利を奪い、天井を手破って、飛び去るのであった。
(中入)
僧は、寺男から韋駄天のことを聞いて、二人で祈ると韋駄天が現れ、足疾鬼を天上界まで追いかけ、もとの下界に追いつめ、舎利を取り返すのであった。