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2006年10月30日

●西陣織と能―片山清司先生に聞く―

能装束について、能楽師の中では、もっとも詳しい方の一人、観世流の片山清司先生に西陣と能との関わりについてうかがいました。

------織物業界では、経営破綻や後継者不足など大きな問題を抱え、西陣織も今後を考えなければならない状況にきていると思っています。装束の生産を西陣に依存している能にとっても大きな課題であると思いますが、打開策などのお考えはありますか。

打開策ではないが、簡単であって一番難しいのが需要量をあげることですね。それは男が着物を着る機会が増えることや、社交上着物を着る場所が増えるなど、生活レベルの変化が起こってこないと難しい。といっても大量生産して、市場経済みたいなやり方で成熟させるのはナンセンスでしょう。長い目で少しずつ需要が増えていき、その育ちが愛好家として着物を着ていくことに繋がり、風合いとして楽しんで、生活に根ざしてくることを教育レベルでやっていかないといけないと思います。
技術的な面で西陣織を残していく面では能はいいかな。なぜかって言ったら、西陣織のすべてを網羅しているわけではないですけれども、能に使えるもので言えば「昔からあるレベル以上のものでなければ使いにくいよ」っていうレベルがある。これがちゃんと使われる→お客さんが目にする→いいなと思えるという風に、生産から、皆が使って見て、評価をするまで一貫しているので能装束は価値があるんだと。
それと同じように普通の着物も、晴れ着といって自分が着ることだけを楽しまずに、着てられえる方を見て、楽しんで、それの優劣を皆がつけて楽しめるようなラインがちゃんと出来上がってくれば、まだまだ着物もいけるんじゃないか。また、大量生産には向かないと思うし。
染色に関して言えば、「染め」っていうものをもう一度研究し直さなければならない。科学染料になってもう久しいですから、科学染料の方が、実績がある。ところが、自然染料の方はごく少ないし、色んな色の風合いを出すのにどういう手立てを必要とするっていう技術伝承が、それほどうまくはいってない。しかも、「織」でしたら組織が残るけれども、「染」は手順なので想像の域を出ないですよね。何分何十秒ぐらい浸けて、この季節はこれくらいで上げたらこの色が出るっていうような、確かな腕のある人が次の世代の人に受け継いでいく。順当に人が育っていけば難なくいけるところが、風土は違うし、気候も温暖化しているし、物は取れないし、技術者も先細りになってきているんです。その悪循環を一回断ち切って、ゼロからの出発やと思って、やり直さないと「染」に関しては無理なんじゃないかな。
それだけのものを皆が要求する意識がないとだめだと思います。例えば、世界一の生糸を引きたいって思う人がいたら、そういうものがいつか出来あがってくるんだし、それをまた要求する人がないと意味ないですよね。そういうことはあるなと思います。

------有形文化財の保存については国家の補助金があり、場合によっては能伝承に関しても国からの補助金があると思いますが、能装束のように実際に使用して消耗するようなものには、国の補助制度はあてはまらないですよね。

能装束についての補助金はない。国の補助金っていうのは、技術保存であるとか、そのつど単品に関して申請して、補助が降りることはあっても永続的にそういうものが下りることはまったくないと思う。
西陣織もやっぱり永続的でないと意味がないので、技術保存のためには供給先がないとだめ。供給先を確保するためには、やっぱり個人に衣装を作ってもらう。例えば、それを作る場合にある程度の補助金が盛りこめられるとか、財政的な優遇措置がないと、供給が増えてこない。受容が減っていくと、一つのサイクルになっている日本の技術保存というのがどんどん崩れてしまうと思う。こうしたサイクルを何とか残せないものかなと思います。
織物の技術としては、日本は色々な多様性があり、それと物を作り出すという技術についてはグレード的に世界一に違いないと思います。それを続けていくためには、やはりある程度の特段の措置が必要なのではないかなと思います。染物を残す必要っていうのは無いのかもしれないですけど、最高の技術を残す必要があるっていうことは何の分野でも国が認めていることですし、今やらないと手遅れであるかな。残すのであれば。
もうやめるんであればやめてしまえばいいんですけど。西陣織みたいなものなんて、もうどこもやらない気がしますが・・・・。技術者としては希望を失うとも思いますね。

------技術を持っている方がおられるんですけど、需要が無いために仕事が無くて、手持ち無沙汰という現状が西陣織でもあるとお聞きしました。

技術者のその技術の継承への意識っていうのが必要なんじゃないですか。人間国宝ひとりの技術者であるだけじゃなしに、次へ繋げてさらに発展していくことがないと。

------能は芸能として生きているということですが、衣装のような道具というのは必需品ですよね。その保存というのに責任が伴うと思いますが、保存にどのような難しさがありますか。

使いながら保存するということが我々の使命ですので、普通の博物館業とかの保存とは違い、いかに長持ちして使っていけるか、また新しく更新できるか、古い文物を残すというだけの保存と違う方法です。違う手順、グレードが必要になってくると思います。例えば一番に薄物。保存だけで言えば、風合いが殺されても、経師さんに手渡して、ある程度の力を借りれば、織物が残るわけです。それじゃあ意味がない。ある程度の風合いがそばからどんどん消えていく。それをどういう補修かけるかって言うことを僕らはやっているんですけど。

------今まではどのように保存されてきたのですか。

毎年、虫干しを続けているから残っている。生きて動いているものに目を回していただいてね、「残す」っていったら博物館しかないという意識を改革してもらわないと。そうしないと、芸能の衣装っていうのは残っていかない。
文化行政としてそういうケースバイケースで、どういうふうに質を残していくのか見極めていただいて、的確な補助をいただきたいのが本音です。

------やっぱり行政と現状の差があるのですね。

行政を責めているわけではないですが、こちらが行政のシステムをうまく知って、そこに合うように努力しなきゃいけないんですけど、やはり限界があるんじゃないかな。

------片山家は西陣織を使っておられるのは知っていたのだが、それ以外とかは使っておられるんですか。

西陣織というか、西陣の地域にあるお店で、色んな着物に関するものが集まっているんで、それで衣装関係がなりたつ。小道具に関しては小道具屋さんっていうものが。冠であるとか刀剣の類、紐類であるとかは別のところに頼んで作ってもらっています。でもそのつどやっぱ調整が必要で、おんなじ組み紐でも、女性の帯締とおんなじ硬さでは頭にしめる紐は無理であるとか、硬さであるとか、色であるとか、色んなことを相談しながら作らないといけないんですよ。手間はかかるんですけども。

------ほんとに専門的に頼まないとってことですね。装束に関してはやっぱり西陣織が一番ということですね。

やっぱり京都に住んでいると西陣。他の地方の方は、他の地方の織物をつかっているところもあると思いますけれども。あんまり聞きませんね。まぁそんだけの、能衣装っていうのが、供給先がありませんから。仕立ての技術持っているところも少ないですし。あえてそんな新規開拓してって言うよりは、西陣で頼んだほうば早いですし。

------西陣織は一番高い水準っていうのは間違いないですかね。

そうですね。西陣にいらっしゃる職人さんがやっぱり一番だと思いますね。もちろん個々の他の着物に関して言えば、例えば芭蕉風なんかていったら、沖縄の方行かないと無いですし、地域の特産の普通の着物って言ったらたくさんあります。ちりめんだったら丹後であるとか、あちこち色々ありますけど、それをごく僅か使うことがあっても総合的に一番こちらが関係が深いのは西陣との関係ですね。


------片山家ではやっぱり西陣織中心だと思いますけれど、他の家でも西陣織が中心ですか。

能はほとんど全部西陣織です。だから地方からも京都。東京の方でも、もう7、8割。というかもっとじゃないですか。

------能装束っていうのは基本的に複製って形でされるんですよね。

複製とか新しいデザインを作って織ってくれっていうのもあります。

------頼む場合に全属の業者さんがあるのですか。

佐々木能衣装さんが一番多いかな。でも専属ではない。他にも頼むことはあるんですけど、うちでは一番多いということですね。うちは父のもひとつ前の代ぐらいからですけれども。

------その前はもっと西陣織が多かったために、違うところに頼んでたことっていうのもあったんですか。

もっと色んなところで調整してたのかもしりませんけど、ちょっと記録が残ってないんで。

------最後に、清司先生は、能の絵本や、コンピューターを通じて科学的に残していくこころみなど、多くの活動をなさっていますが、伝統を残していくっていうことにどのようなお考えがありますか。

伝統というのは、世間の方々っていうのは、西陣織の技術保存みたいな感じで思っていらっしゃる方が多いが、私達の伝統って言うのは目に見えない。生活文化に近いんですよね。ですから日々の物の感じ方であるとか、生活のスタイルみたいなところから芸能を作り上げていく心っていうのを養っていくわけで、それが伝統に一番大切な修練であるわけです。このようにして「習う」ことと技術保存とが両輪になって進んでいかないと残っていかない。芸能の場合には残っていかないんです。しかも、お客さんの方も続いていかないと、見る側に評価してもらわないと芸能は続いていかない。
お能っていうのは人々には、硬いイメージがあり、難しいですけど、それを少しでも解きほぐして、イメージの上で難しいと思われるところを和らげて、ちょっと入って見てみようかなと思っていただけるようなことを、少しずつでも続けたいなと考えています。
(インタビュー 谷口 拓)

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