美術書出版株式会社芸艸堂

美術書出版株式会社芸艸堂は、文求堂・田中治兵衛に奉公していた山田直三郎が独立し、明治24年(1891)に創業した。「芸艸堂」は富岡鉄斎が初代に与えた書に因む命名である。芸艸堂は創業当初より、現在も主力分野である意匠図案・画譜の刊行を行っていたが、次第に実兄・本田市次郎らが経営する雲錦堂と競合するようになり、明治39年(1906)に両者が合併する形で新たに芸艸堂を発足、大正7年(1918)には東京進出を果たす。東京の吉川弘文館、大阪の青木嵩山堂、名古屋の片野東璧堂(永楽屋)、京都の田中文求堂などが木版出版業撤退に伴って板木を放出した際には、芸艸堂がそれらを吸収し、現在の蔵板規模を形成していった。後の展示品解説に述べるように、震災・戦災で焼失した板木もあるが、板木蔵に現存する板木は、色板を含めて10万枚を越えるともいわれている。戦時中の企業統合により「大雅堂」名義で板本の刊行を行っていたこともあるが、戦後は芸艸堂の名称を復活させ、昭和28年(1953)には法人組織に移行、現在に至る。芸艸堂は現在も木版による出版活動を行っており、近年では寛政5年刊(1793)『芭蕉翁絵詞伝』(蝶夢編)、文化13年(1816)刊『三體画譜』、文政6年(1823)刊『一筆画譜』(いずれも葛飾北斎画)などが江戸時代の板木で摺り立てられた。版画の板木も多数現存。芸艸堂が所蔵する板木は遺産化した資料ではなく、生きた印刷の道具である。