藤井文政堂

藤井文政堂こと山城屋佐兵衛(藤井佐兵衛とも)は、文政年間(1818~1830)の書林仲間加入で、安政6年(1859)に没した2代目が「文政堂」を名乗り始めたといわれている。ただし、文化年間(1804~1818)に京都で刊行された細判合羽摺に板元印「山佐板」が見られる例があり、この山佐と同一人物であれば、実際の創業はもう少し遡る可能性がある。山城屋佐兵衛は新版ばかりを刊行する板元ではなく、既刊本の版権を買い集めることにより、品揃えを充実させていったらしく、現存する板木には、創業期よりも古い板木が多く含まれている。藤井文政堂の板木は、ご当主がご存じないままに流出したことがある。一時期、流出した板木は東北地方まで流れたが、それに気付いた古書籍商によって京都へ呼び戻され、その後奈良大学と大谷大学へ収蔵されるに至った。この他、藤井文政堂が現在も所蔵する板木があるが、それらは奈良大学博物館に寄託されている。さらに、京都市内の印判店が所蔵する文政堂旧蔵の板木もあり、これらも現在まで各店で大切に保管されている。これらを合わせて藤井文政堂所蔵・旧蔵板木は2000枚程度が現存することになる。このあたりの経緯は、永井一彰氏のご研究に詳しい。藤井文政堂は現在も営業を続けており、寺町五条で仏教書籍・経本の刊行と古書籍の販売を行っている。