Z0677-050

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小倉擬百人一首 第50番 藤原義孝

君がためおしからざりしいのちさへながくもがなと思ひけるかな

画像

歌意:あなたに逢うことができれば命も惜しくないと思ったその命までもが、お逢いできた今では、末長くお逢いできるように、なんとか長くあってほしいものだ。(6)


字ハ雲長其髭の長く麗き称して美髯公といふ

蜀主玄徳起立の始張飛と共に三人桃園に義を

結んでより其功最筭へがたし死して数度霊

ありし故関帝廟と号今猶漢土に是を

尊ぶ事甚し

柳下亭種員筆記


絵師:一勇斎国芳

彫工:房次郎

版元:伊場屋仙三郎


 関羽は中国後漢末期の武将である。中国の通俗小説『三国演義』にその活躍が記され、日本でも、江戸時代には歌舞伎や浄瑠璃などで演じられ、大きな影響を与えた。元文二(1737)年に初演された「閏月仁景清」一番目大詰「関羽」は、後に歌舞伎十八番に数えられているが、上演は途絶している。明治になって、「増補桃山譚」で関羽が演じられ、さらに昭和になって「関羽」の復活公演がされている。浄瑠璃には「諸葛孔明鼎軍談」「端手姿鎌倉文談」「小田館雙生日記」がある。


【小倉擬百人一首で他に中国作品に題材をとったもの】

第17番花和尚魯智深

第20番晋の豫譲


【『三国演義』における関羽】

 関羽は殺人を犯し郷里を出奔、漢王朝の血を引く劉備と出会い、これに仕える。劉備軍の武将として彼に尽くすが、途中魏の曹操に捕らえられる。さまざまな贈り物を受けるなど賓客としてもてなされ、関羽もその恩に報いて曹操軍として働くが、劉備への忠義を貫きそのもとを去った。その後も劉備に尽くし働くが、呉の孫権に捕らえられ処刑された。その首は曹操のもとに送られ、関羽の怨霊が魏と呉を脅かしたと記述されている。

【絵解きおよび考察】

 前述のように、関羽は歌舞伎作品に出演していたものの、この絵の描かれたころには上演はされておらず、顔も日本人離れした風であることから、描かれた関羽にモデルはないものとおもわれる。特徴となっているヒゲと、熟れた棗のように赤いとされる顔はどちらも三国演義中に記されている関羽の容姿である。背景の花はおそらく桃で、そこにたてかけられている棒状のものは『三国演義』に記述のある青龍偃月刀である。着物の模様や靴、座っている台のようなものなど、全体的に中国風である。

 花の咲いた木を背に座っている場面である。花と関羽から連想されるのは桃園の誓いで、この花も桃であるかと思われる。桃園の誓いで関羽は蜀主劉備玄徳と張飛と義兄弟の契りを結び、劉備に忠義を尽くす。関羽はその死後、他の武将や軍師と同じようにまつられるが、その忠義によって後々まで抜きんでてあがめられるようになる。この歌の君は劉備を表わし、元は恋しい女性への気持ちであったものが、関羽の忠義を意味する歌になった。

通俗三国志英雄之壹人
武勇見立十二支 未
五将軍見立五人男 ばんずい長兵衛

 国芳の描いた関羽は他に「通俗三国志英雄之壹人」「武勇見立十二支 未」「五将軍見立五人男 ばんずい長兵衛」などがある。このうち「通俗三国志英雄之壹人」をのぞいては関羽を何らかに見立てた絵である。見立てられた関羽に動きはなく、座っているだけの姿として描かれている。そのことから、見立は関羽の存在・見た目そのものからと考えられる。羊と関羽との関連は、羊毛と髭との見立との考えがなされている。ばんずい長兵衛との見立絵は、絵自体は市川白猿(五代目市川海老蔵)演じる長兵衛が描かれており、関羽自身の登場はない。



参考文献・ウェブサイト

1.〔古典聚英9〕浮世絵擬百人一首 豊国・国芳・広重画 吉田幸一 笠間書院2002年

2. The hundred poets compared : a print series by Kuniyoshi, Hiroshige, and Kunisada Henk J. Herwig, Joshua S. Mostow  Hotei Pub2007

3.『歌舞伎登場人物事典』 古井戸秀夫編 白水社2006年5月

4.『日本古典文学大辞典』  岩波書店1983年

5.『関羽伝』 今泉恂之介 新潮社2000年

6.『新編 和歌の解釈と鑑賞事典』 井上宗雄、武川忠一編 笠間書院2000年

7. Kuniyoshi Project http://www.kuniyoshiproject.com/