2016年8月に五条坂京焼登り窯(元・藤平陶芸登り窯)の発掘調査を行い、戦前まで存在した「西の窯」の基底部が残っていることを確認しました。その成果は2017年5月28日に日本考古学協会総会で報告しました。

しかし、2016年の調査トレンチが狭かったため、その延長を確認すべく、補足でボーリング調査を行いました。その結果、調査トレンチ外にも窯壁の基底部が続いている可能性が高くなりました。かつて京都一の規模を誇ると言われた「西の窯」の痕跡が、想像以上に地下に残っているようです。

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2017年9月25日から同年11月2日まで、京都工芸繊維大学美術工芸資料館で展覧会「纏う図案-近代京都と染織図案Ⅰ」が開催されます。

http://www.museum.kit.ac.jp/20170925.html

木立研究室でデジタルアーカイブを進めている大橋商店の半襟図案(大正期)の中に懸賞付き図案が含まれています。その図案を展示に貸し出し、デジタル写真も提供しました。

展覧会は「明治期を中心に描かれた図案を産業・教育の両面から紹介し、京都における工芸・産業の発展の一側面をご覧いただきたい」という主旨で開催されます。図案の中でも、特に「懸賞付き図案」を中心に取り扱われるようです。本学の資料の位置づけを考える上で注目していますが、近代京都の工芸を考える上でも、大変興味深いテーマです。

考古学の遺物実測作業では、三角定規・直定規・キャリパー・マコとともに、仏式ディバイダーが不可欠です。すべて手作業で詳細な計測を進めています。

仏式ディバイダーは針を交換できないという難点はありますが、左手に土器、右手にディバイダーをもち、右手だけで土器の寸法を測るのにとても便利です。三角形になった部分が片手でディバイダーを広げたり、狭めたりするのに不可欠です。通常のディバイダーでは両手がふさがり、作業が非効率です。

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2017年8月17日から9月前半までの予定で、亀岡市・篠窯跡群の分布調査で採集した須恵器の実測、および、京都市・五条坂京焼登り窯で発掘した出土品の実測作業を行っています。実測をしてくれている学生・院生の腕前が徐々に向上しています。デジタル化を促進し活用している本研究ですが、考古学の世界では手作業による「実測」という作業がまだまだ欠かせません。遺物を詳細に観察して記録する作業は、遺物と対話する、大変貴重な時間です。

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篠窯跡群採集須恵器(「西前山3号地点」2017年4月新発見)

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須恵器実測の様子

2017年8月29日の京都新聞朝刊(丹波版)に「篠の窯復元、須恵器制作へ」と題して、「ガレリアかめおか」が主催している小型三角窯の復元実験の様子が紹介されました。木立も参加しています。

http://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20170829000022

新聞に紹介された通り、実験は順調に進んでいますが、雨が多いため、完成した窯はなかなか乾きません。

2017年8月18日に完成した窯の状況確認をしたところ、天井が乾いていないだけでなく、窯内の窪んだ部分に雨水が流れ込んでたまっていました。排水水を作って窯内に水が溜まらないように工夫しました。また、天井にトタン屋根をかけて、雨が直接当たらないようにしました。トタンをかければ天井の乾燥を止めてしまいますが、今年は雨が多いため、苦肉の策をとりました。そのかわり、内部から強制的に乾燥させるため、七輪の炭火で今後一週間ごとに炙ることにしました。これから、しばらく乾燥の状況を確認します。

また、2017年8月18日には、現地で須恵器の製作実験も行いました。窯焚きを10月に予定していますが、その時に焼成する須恵器を大量に製作する必要があります。それをどのようにして作るのか、木立が復元した須恵器製作技法を紹介し、陶芸家の皆さんから意見を伺いました。清水志郎氏が持参された木製の伝統的な手回しロクロを使用しましたが、電動ロクロや現代の鋳物製手回しロクロとは大きく異なり、惰力が小さく、すぐに止まってしまいました。須恵器のロクロとその技術については、まだ未解明な部分がありますから、その問題を考える上で大変参考になりました。

陶芸家の方々で窯詰めする須恵器製作の役割分担を決めましたが、木立研究室では焼台を作ることになりました。現地の粘土を持ち帰り、8月24日~26日に粘土を練り、現在、現地粘土の焼成実験を行って収縮率を確認中です。

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8月18日 窯内に溜まった水を排水している様子

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同・七輪の炭火で強制乾燥している様子

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同・須恵器 杯の箆起こし実験の様子(手回しロクロは清水志郎氏所蔵品)

窯跡研究会第16回研究会で、岡山県備前市佐山東山窯の見学および大型須恵器窯の検討が行われました。岡山理科大学の亀田修一先生が中心となって発掘調査を行っている佐山東山窯跡の巨大さには驚かされました。年代は8世紀後半ですが、まるで中世陶器の窯のように見えました。寒風窯跡では多量の鴟尾を焼成した窯跡の現地、寒風陶芸館の復元須恵器窯も見学することができました。

翌日には検討会が開催され、各地の大型須恵器窯の事例が報告されました。古墳時代から奈良時代に至る過程で、各地で連動した動きも確認できたのですが、むしろ、地域ごとに異なる対応をとっていたことがよく理解されました。そのなかで、甕生産に関わる、播磨と備前に共通した特殊性が浮き彫りになったと思います。木立は南加賀の事例を報告しました。

陶芸家平川忠氏・赤井夕希子氏による備前焼の「土窯」復元の報告は、伝統産業・備前焼を再生するための極めて興味深い実践活動でした。考古学の資料を見直し、活用されていることも興味深いのですが、再現によって得られた知識は、考古学研究にとっても重要で極めて刺激的でした。

シンポジウムでは、須恵器窯が大きくなる理由など、多様な論議がなされましたが、特に甕との関係が重視されました。なお、亀田修一氏は甕の比率の認識について問題点を指摘されましたが、重要な指摘だったと思います。それ以外も含めて、須恵器窯の構造をめぐる議論は、まだまだ解決していない問題が多いことを改めて理解することができました。

なお、2日目は備前焼の国指定史跡・伊部南大窯を望むことができる備前焼伝統産業会館3階で行われました。地域の伝統産業と考古学研究の在り方について考えるには、とてもよい環境でした。シンポジウム終了後は2階で備前焼を堪能し、伊部南大窯跡を見学することができました。お世話になった方々に心から感謝致します。

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シンポジウムの様子(備前焼伝統産業会館3階)

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備前焼伝統産業会館3階からながめる国指定史跡・伊部南大窯跡

九谷A遺跡は、山中温泉から大聖寺川を13㎞上流に遡った山間部にあります。当遺跡の大聖寺川の対岸には国指定史跡・九谷磁器窯跡が所在し、その関連遺物・遺構が九谷ダム建設に関わる発掘調査で検出されました。九谷ダムによって水没する可能性がありましたが、重要な遺跡であるため、現在、整備が行われています。

http://www.ishikawa-maibun.or.jp/iseki_new/kaga/kutani/index3.htm

注目されるのは「金薪窯」(薪を燃料とする上絵窯)の基底部と想定される焼土遺構が発掘調査で確認されたことです。現地では上絵窯の遺構が展示されていましたが、発掘地点に近いとはいえ、異なる地点のようです。しかし、「展示・保存の方法」については説明がありませんでした。展示解説板でも、発掘調査報告書でも、17世紀の九谷磁器窯跡の頃の上絵窯跡として紹介されています。

また、遺構は表土直下で検出され、ほとんど遺物が伴わないことから、幕末の吉田窯や昭和九谷との識別が問題となり、厳密な年代を確定することは困難だったと思います。どのような検証が行われたのか、興味深いことです。解説板では多くの説明ができないのでしょうが、重要な遺構だけに気になりました。

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京都市下京区・京からかみ丸二さんが、京からかみの体験工房「唐マル」を開設されました。社長・西村和紀氏の新たな挑戦を拝見させて頂くため、2017年8月4日、その内覧会に参加させて頂きました(オーブンは後日)。当日は沢山の人々が参加されていました。

内覧会では、展示場と工房・体験教室を見学し、唐紙摺りの体験をさせて頂きました。工房では、摺師・本城武男氏とその弟子・工藤祐史さんが江戸時代の板木を使用して、お二人で摺り作業を行っておられました。その様子を拝見できたことは、大変貴重なことでした。

伝統工芸を様々な形で伝え、広める施設が増えたことは、とても喜ばしいことです。京唐紙がより身近に感じられる施設になることを期待しています。

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2017年8月2日、以前に発掘調査を行った道仙化学製陶所窯跡(京都市五条坂)の維持管理と公開のため、恒例の草刈りを行いました。理化学磁器を中心に焼成した窯ですが、「貸し窯制度」によって、京焼陶工も使用していました。露地奥にひっそりと佇む、廃墟遺跡のような登り窯ですが、隣接する浅見五郎助窯と並列している姿は、往時の様子を物語っています。

今後とも五条坂の歴史を物語ってくれるものと思います。

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