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まとめ

炭坑夫の歌

アメリカには2種類の炭田があります。ペンシルヴェニア州北東部に集中して産出される無煙炭と、ペンシルヴェニア、ヴァージニア、オハイオを中心に東部、南部から西海岸まで広い範囲に分布する軟炭(瀝青炭)です。炭鉱夫の歌でもっとも資料が多いのは、無煙炭田、軟炭田ともペンシルヴェニアのものです。ここには主にイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドから来た鉱夫が働いていました。歌も当然、この人々が持ち込んだ伝統を受け継いでいました。外の社会から隔絶して娯楽の少ない炭鉱村ではみんな歌が好きでしたし、炭田を回る歌手もいました。

 炭鉱の歌でもっとも印象的なのは、なんといっても、慢性化した死の恐怖がうたいこまれていることです。「よく働く鉱夫*1」という歌は、無惨で納得のいかない鉱夫の運命について、醜い部分をおし隠し、感傷的に美しくまとめられています。死と背中合わせの仕事をするのは愛する家族を養うためだったと自己犠牲をたたえ、神の加護を請うのです。詩の現実から一歩退いたこのような歌は、遺族の悲しみをいくらかでも癒したでしょう。曲もまた、ゆったりと優しくもの悲しく、賛美歌のような響きを持っています。

 炭鉱では子供たちも働いていました。ふつうは8, 9歳でスレート(粘板岩)拾いとして始め、10歳か11歳で、坑内のドアに待機して貨車が往来するときに開閉する役を務めました。14, 5歳では騾馬(ラバ)を引いて石炭の運び出しをします。(ラバは大事な動力でした。)暗黒の坑内で毎日働く子供たちは著しく成長を妨げられ、十分な教育が受けられないのはもちろんのこと、精神的にも大きな障害を負いやすかったといいます。1930年の統計によれば、15歳から24歳男子の炭鉱での死亡率は、同年男子の平均死亡率の2倍でした。脳出血および事故による死亡率で石炭産業内の年齢別比較をみると、15歳から24歳の死亡率は平均を37.6%も上回っているのです。高い死亡率の原因には若い人たちの不健康と未熟な技術がありましたが、この他に、能率のいい熟練労働者を失いたくない会社が危険で条件の悪い仕事を子供や青年にさせたことがありました。「炭鉱の白い奴隷たち*2」  は、日光に当たらずに働き続け、やがて死んでいく子供たちを悼んだ歌です。

 近代社会における炭鉱のもう一つの重要な側面は、労働運動の激しさです。炭鉱の労働争議は一般の人々の日常生活に影響を与えますし、「汚い、貧しい、乱暴だ」という鉱夫への差別意識も相乗して社会から嫌われていましたが、多くの犠牲を払った後、徐々に理解を勝ち取るようになります。労働組合の組織化が進む中で、組合を理想化した歌がたくさん作られました。「ユニオンと呼ばれるものを耳にしたら、幸福と自由を知ったことになるんだ*3」  と歌われたりしました。「ユニオン」は合一、統一を意味する言葉で、神との合一を表して黒人のキリスト教歌によく使われたのでしたが、ここでは労働組合をさしています。1960年代になると、「幸福」「自由」「美しい」などとならんで人種差別撤廃を訴えた市民権運動のキーワードとなりました。時代を隔てても、不平等と対立に苦しむ人々の唇に同様の歌がよみがえるというのは、感動的ではないでしょうか。


No.

イメージ

曲名

 出典

試聴

試聴

音楽1

The Hard Working Miner

“The Hard Working Miner,” George Korson, Coal Dust on the Fiddle (1943).

音楽2

A White Slave of the Mine

“A White Slave of the Mine,” Korson, Minstrels of the Mine Patch (1938).

音楽3

In the State of McDowell

“In the State of McDowell,” Korson, Coal Dust on the Fiddle (1943).