カウボーイ・ソング1860年代、現在の合衆国領土の東西南北にわたって鉄道が敷かれ始めました。その鉄道を使って、需要がだぶついている牛を南西部のテキサスから東部の都市まで輸送しようと考えた人がいました。ジョセフ・マッコイです。彼はテキサス中央のアビリーンで牛の取引を始めました。カウボーイたちが野宿をしながらダッジシティまで追って移動させた牛の群れを、テキサスでの売値の10倍で買い取ったのです。その牛は鉄道でシカゴに運ばれ、コーンビーフやソーセージになりました。 この時代の牛追いを、牛のロング・ドライヴといいます。ロング・ドライヴは、鉄道網の充実に伴い1880年にはすでに下火になり90年代には消滅していましたが、カウボーイはそののちアメリカの代表的イメージとして不滅になります。荒野での野宿、自然の脅威にさらされながらの旅、馬乗と射撃、綱で牛を捕まえる技術、先住民との争い、博打、けんか、そしてカウボーイハットにカウボーイブーツ、バンダナや派手なバックルをつけた太いベルト。西部劇でおなじみのカウボーイたちです。 ところが彼らの歌を聴いてみると、意外にも彼らがデリケートでセンチメンタルだったと気づきます。彼らは仕事と生活にうんざりしていて、ちっともかっこうよくありません。「カウボーイの暮らしは、ひどいひどいくらし。自由で気軽だという人もいるけれど。朝から晩まで牛を追う。荒れ果てた平原のどまんなかで。*1」 女性はいませんから、甘くやさしい異性を求めて想像はふくらみます。センチメンタルなラヴソングは、女性不在の産物でした。ある歌では、ユタという青年が、牛の群れに襲われて絶体絶命の危機に瀕したレノアという少女を命がけで救います。彼は最期に「さよなら、いとしいレノア*2」 (音楽:"Utah Carroll" When I Was A Cowboy, Vol 1 emusic.comより)とつぶやきます。朝から晩まで夫婦一緒に働いていた農民の歌には、けっして見いだせない一言です。 |
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