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イギリス系アメリカ民謡(1)

イギリス系アメリカ民謡(2)

イギリス系アメリカ民謡(3)

アフリカ系アメリカ民謡(1)

アフリカ系アメリカ民謡(2)

アフリカ系アメリカ民謡(3)

アフリカ系アメリカ民謡(4)

ハワイ日系人の民謡

ハワイ日系人の民謡
ホレホレ節

ホレホレ節は、ハワイの日本人一世が生み出した労働歌である。19世紀末に日本人労働移民が組織的にハワイに送り込まれ、ハワイ各地の砂糖耕地で重労働についた。ホレホレ節は、その砂糖耕地での労働の中から生まれてきた民謡である 。 「ホレホレ」とは、砂糖黍の枯れ葉を手作業で掻き落としていく作業を指す 。 他の耕地労働に比べ比較的力がいらなかったため、これは主に女性の仕事だった 。 炎天下での「ホレホレ」の作業の中で、ともに励ましあい、力を合わせるために、また少しでも気を紛らわせるために、即興的にいろいろな歌詞をつけて歌いこんでいったものと思われる 。

ホレホレ節は、おそらく日本人移民がアメリカで生み出した唯一の、本当の意味での民謡だろう 。 本当の意味で、というのは、この歌は人々の間で歌い継がれてきた共同体の歌であって、特定の作詞者も作曲者もいないからだ。

歌詞の内容は、砂糖耕地での生活、男女関係、とばく、今後の身の振り方についての思案、ふるさとへの思い、など、当時の移民の生活に密着したものだ 。 ハワイの日本人移民の言語環境を反映して、日本語、ハワイ語、英語が入り混じった歌詞である 。 いくつかここに紹介しよう。 

ハワイ 、 ハワイと夢見てきたが

流す涙は甘庶(きび)の中

行こか メリケン* 帰ろか 日本

ここが思案の ハワイ国

*「メリケン」は、「アメリカン」がなまったもの。1898年にアメリカの準州となったハワイでは、アメリカの法律に基づいて1900年より契約労働が禁止された。そのため耕地で契約労働についていた日本人移民は契約から解放され、アメリカ本土に渡って新しい職につくものや、日本へ帰るものが現れた。そんな中、自分の進路を決めかねている心境が、ここで歌われている。

今日のホレホレ 辛くはないよ

昨日届いた 里便り

横浜*出るときゃ 涙ででたが

今は子もある 孫もある

*日本人労働移民は、横浜を出航する船でハワイへ旅立った。

条約切れても 帰れぬやつは

末はハワイの ポイ*の肥

*ポイとはタロイモを発酵させて作ったハワイ原住民の主食。三年契約の労働を終えても蓄えができず日本に帰国できないものは、ハワイに骨を埋めてポイの肥料になってしまうよ、と歌っている。

ハワイ ハワイと 来てみりゃ地獄

ボースは悪魔で ルナは鬼*

*ボスは英語のbossで、耕地経営者を指し、ルナはハワイ語で、耕地の現場監督を指す。

カネはカチケン ワヒネはハッパイコウ*

夫婦仲良く 共稼ぎ

*カネとワヒネはハワイ語で、それぞれ男と女を指す。カチケンはcut caneという英語がなまったもので、サトウキビの茎を刈り取る作業、ハッパイコウは、刈り取ったサトウキビを運搬する作業を指し、運搬に使った台車を指すハワイ語、ハパイという言葉に由来する。

条約切れるし 未練は残る

ダンブロウのワヒネ*にゃ 気が残る

*ダンブロウは、英語のdown belowがなまったもの。労働契約が満期になるが、下方にある耕地で働いている女性に気が残る、と歌っている。

ホレホレ節の旋律は、移民の出身地であった広島、山口、熊本などの各地方の民謡が混ざり合ってできたものではないかと思われる 。

耕地で労働しながら、あるいは仕事の合間の余暇に歌われてきたホレホレ節は、他の民謡にも良く見られるように、歌い手や場所によっていろいろなヴァリエーションがあったようだ。 ハワイ生まれの帰米二世であるハリー浦田氏は、各地で録音したホレホレ節をもとに、その共通項をまとめてメロディーを構成し、楽譜にした 。 また、彼が収集したホレホレ節の録音は、スミソニアン博物館に寄贈され、1999年、永久保存のためCD化された。残念ながら、このCDは市販されていないが、近い将来、移民資料館や研究機関が複製を入手できるよう、浦田氏ははたらきかけている。

浦田氏は長年日本の歌をハワイで教えてきたが、彼の生徒の一人である日系四世が、NHKの「のど自慢インハワイ」(2000年)で 「ホレホレ節 」を歌い優勝したことは、記憶に新しい。その後間もなく、浦田氏製作による 「ホレホレ節 」のCDがハワイで発売された(Hole Hole Bushi, M & H Hawaii, 2000, MHCD2000) 。 

 実は「ホレホレ節」には、耕地スタイルとお座敷スタイルの二つがあり、このCDも、その二つのスタイルを収録している 。 耕地スタイルとは、文字通り、砂糖耕地で歌われたスタイル、一方お座敷スタイルとは、日本人労働者が町に出て自営業などを営み、日本人町が発達した1890年頃から、町の料亭のお座敷で芸者が歌い出したスタイルで、小唄風にアレンジされ、三味線伴奏で歌われる。

ハワイで発売されたCDでは、耕地スタイルを、のど自慢優勝者、アリソン・アラカワが、お座敷スタイルを、やはり地元日系人歌手と思われる、イツコ・タガワという女性が歌っている 。 ここに収録されている耕地スタイルは、かなり洗練されたもので、安定したメロディーラインとリズムを保っている 。 浦田氏が、様々な現地録音をもとに標準化したメロディーに基づいているのだろう 。また、伴奏にウクレレ、尺八、ベースが入っているのも現代風だ(音楽:「ホレホレ節」耕地スタイル、アリソン・アラカワ、M&H Hawaii, 2000年)。一方、お座敷スタイルの方は、三味線のほか、ハワイで活躍中の日系二世太鼓奏者、ケニー遠藤による太鼓の伴奏が加わっている(音楽:「ホレホレ節」お座敷スタイル、イツコ・タガワ、M&H Hawaii, 2000年)。

 「ホレホレ節」は、1967年に民謡歌手、佐藤松子によって日本でも録音され、キングレコードから発売されている。A面が(三味線歌)とされているが、これがお座敷スタイルの方である。一方、B面は(尺八歌)となっており尺八の伴奏が入っているが、スタイルとしては耕地スタイルである(音楽:「ホレホレ節」三味線歌、佐藤松子、キングレコード、1967年)。耕地スタイルがゆったりと哀愁を帯びているのに対して、お座敷スタイルの「ホレホレ節」はテンポが早く、リズムも軽快である。また、ハワイ語を取り入れた囃子言葉(例:「アー そのわきゃチャッチャでヌイヌイカマアイナ(=素晴らしい土地の人)」など)が入っているのも特徴的だ 。 いかにも酒宴の席で、客の手拍子に合わせて歌われたような感じがする。


No.

曲名

 出典

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試聴

ホレホレ節/アリソン・アラカワ

なし

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