イギリス系アメリカ民謡(3)
カントリー音楽 country music
カントリー音楽、あるいは 「カントリー・アンド・ウェスタン」呼ばれる音楽は、今やアメリカポピュラー音楽の主流の一つだが、そのルーツはアメリカ南東部山間地方のイギリス系アメ リカ人の民俗音楽である 。 ここでは、1920年代から1930年代の、いわゆる初期のカントリー音楽が、民俗音楽の伝統とどのように結びつき発展してき たかに焦点を当てる 。
カントリー音楽の歴史は、アメリカのラジオおよびレコード産 業と密接に結びついている 。 1920年代から、アメリカのレコード会社は、市場を広げるために、アメリカ南部の田舎で、地元の人々による地元の音楽の録 音を行い始めた 。 この頃録音された南部の白人の音楽は、古きよき時代の素朴な音楽として、オールド・タイム・ミュージックと呼ばれ、それが後にはヒルビ リー音楽と呼ばれるようになった 。 ヒルビリーとは、「いなかっぺ」というような意味の、南部の田舎の白人を指す少々軽蔑的な言葉だったが、今や初期のカ ントリー音楽の一種を指す言葉として定着した。
1920年代に録音されたこれらの 音楽は、イギリスもたらされたバラッド、アメリカで新しく作られたバラッド、ストリング・バンドによるダンス音楽など多種多様だった 。 まさに、南部の生 の音だったわけだが、それが、次第にレコードが普及し、プロへ転じる音楽家が現れるに従って洗練され、1930年代までには、商業ベースに乗った一つの音 楽ジャンルとして確立されていった 。
1920年代に録音された音楽家の中で、カントリー音楽の発展に特に大きな影響をえたのは、カーター ・ファミリー(The Carter Family写真:NPRへのリンク)とジミー・ロジャース(Jimmie Rodgers 写真左端がロジャース、右の三人はカーター・ファミリー、1931年:原典へのリンク) だろう。彼らはともに、テネシー州ブリストルのスタジオで1927年に始めて録音を行った 。彼らを発掘したのは、ブルースの録音でも知られるプロデュー サー、ラルフ・ピアー(Ralph Peer)だった。この歴史的な録音のために、ブリストルの町は「カントリー音楽発祥の地」と呼ばれており、「カントリー音楽発祥の地同盟」(Birthplace of Country Music Alliance)なるものまである。
カーター・ファミリーとジミー・ロジャースは、カントリー音楽における二つの対極を象徴している 。 前者は、アメリカ南部のイギリス系民謡の伝統に強く根 付いていたのに対し、後者はブルースやボードビルショーの影響を強く受けていた 。 この保守性と外部への適応性という二つの性質は、ともに、その後のカン トリー音楽の発展を特徴付けるものとなった 。
ヴァージニア州出身のカーター・ファミ リーは、カーター夫妻と妻方の妹からなるトリオとしてデビューし、伝統的な南部のイギリス系アメリカ人の民謡(主にバラッド)、あるいはそれに準じた自作 の歌をレパートリーとした。歌詞の内容は、宗教や家族の重要さを強調する道徳的なものが多かった 。 彼らが録音したレパートリーは、口承で伝えられてきた 民謡にしろ、新曲にしろ、その後カントリー音楽のスタンダードとして定着したものが少なくない 。
レパートリーが保守的でありながら、カーター・ファミリーの演奏は、伝統的な民謡の演奏とは異なっていた 。
第 一に、かれらはメロディーにヴォーカル・ハーモニーを加えた 。 つまり、ただ歌のメロディーを歌うのではなく、ハモって歌ったのだ。ハーモニーで歌うテク ニックは、教会の賛美歌の歌唱法から学んだものではないかと思われる 。 ヴォーカル・ハーモニーは、今でもカントリー音楽の重要な特徴の一つBury Me Under The Weeping Willow Tree (音楽1)(Recorded Aug. 1, 1927, in Bristol, Tenn., during the 'Bristol Sessions' NPR Morning Edition Jul 16 2002)
そして第二に、彼らは歌に楽器による伴奏を加えた。使った楽器はオート ・ハープといわれる弦楽器(写真右端のサラ ・カーターが持っている楽器)と、ギター だ 。 特に、メイベルが使ったフラット・ピッキング(Flat picking)あるいは、サム・ストローク(thumb stroke)といわれるギター奏法は、その後カントリー音楽において定番となった。これは、メロディーをつま弾きつつ、コード(和音)を同時にかきなら すものだ(音楽2:";Wildwood Flower" The Carter Family 1927-1934 Disc 1より)。
ラ ルフ・ピアーが発掘したもう一人のカントリー音楽のパイオニアは、ミシシッピ州出身の若者、ジミー・ロジャース(1897〜1933)だった 。 彼の音楽 は、イギリス系民謡の伝統に根付いた保守的なカーター・ファミリーの音楽とは対照的に、ブルースやボードビルショー(歌、踊り、寸劇などを組み合わせた娯 楽ショー)などの影響を強く受けていた 。 彼は、鉄道工夫として働いた経験を通して、黒人の仕事仲間から黒人音楽を学び、また白人・黒人の放浪者(ホー ボー)からも彼らの歌を吸収した 。 さらに、ボードビルショーで働いた経験から、当時のボードビルショーで人気を呼んだ種々雑多な音楽文化の影響も受けた と思われる 。家族の絆を強調するカーター・ファミリーとは対照的に、自由奔放に生きる一匹狼というのが、ジミー・ロジャースのイメージだろうか 。
ジミー・ロジャースの音楽は、その後のカントリー音楽を特徴づけることになった重要な要素を含んでいた 。 それらの要素の文化的起源は多様だが、それがイギリス系アメリカ人の民謡の文化と融合することによって、一つのカントリー音楽のスタイルが確立されたのだ 。
その特徴とは、まずブルースから借用したブルーノートとAAB形式だ。そして次に、ヨーデル。カントリー音楽にヨーデルを最初に取り入れたのが誰かは定かで はないが、それを定着させたのは、まちがいなくジミー・ロジャースだろう(一説には、ボードビルショーにスイスのヨーデラーがおり、その影響ではないかと も言われている)。彼は、ブルースとヨーデルを組み合わせた彼のオリジナル・スタイルの曲を、「ブルー・ヨーデル」と名づけ、13曲のブルー・ヨーデルを 録音した(音楽3: 'Blue Yodel No. 7 (Anniversary Blue Yodel)'(Amazon.comでサンプルを聞く)by Jimmie Rodgers, Riding High 1929-1930より) 。
最 後に、ジミー・ロジャースは、ハワイアン・スティール・ギターをカントリー音楽に導入した 。 これは、文字通りハワイで生まれたギターのスタイルで、もと もと普通のアコースティック・ギターをひざに乗せて、スティールの小さな棒をフレットの上で滑らせながら演奏したのが始まりだ 。 ブルースのボトルネッ ク ・ギターの奏法と似ているが、スティール ・ギターの場合、音が尻上りに滑り上がるが特徴的だ 。 やがて、この奏法のための特別のギターがアメリカ本土で 開発され、長方形でスタンドに乗せるもの、ペダルがついたものなどが生まれた。そのため、現在スティール・ギターといえば、奏法だけでなく、ギターの一種 を指す 。
さて、このスティール・ギターは、1930年代にはアメリカ本土でもボードビルショーやレストランなどで人気を呼んでいたようで、それをジミー・ロジャースが自分の歌のバックアップ ・バンドに取り入れたというわけだ(音楽4:'Take Me Back Again'(Amazon.comでサンプルを聞く)by Jimmie Rodgers, Riding High 1929-1930よ り) 。 この曲は、ラニ・マッキンタイア(Lani McIntire)というハワイの音楽家が、スティール・ギターで伴奏に加わっている。この、ハワイアン・スティール・ギターの独特の音色は、今やハワイ 音楽とカントリー音楽に共通の特徴として定着した(なお、ヨーデルもハワイ音楽とカントリー音楽に共通の特徴だが、ハワイにおける起源、およびカントリー 音楽との関連は定かではない)。
さて、カーター・ファミリーやジミー・ロジャース を始めとするカントリー音楽のパイオニアたちは、レコード録音だけでなく、ラジオ放送によっても、彼らの音楽を全国的に広めていった 。 1920年代初め から、テネシー州ナッシュビルのラジオ局WSMは、当時ヒルビリーといわれていた音楽の生演奏を放送し始めた 。 このラジオ・ショーが、後には有名なグラ ンド・オール・オプリ(Grand Ole Opry)へと発展し、カントリー・ミュージシャンの登竜門となった 。 それ以来現在も、ナッシュビルといえばカントリー音楽の中心地である 。
こうして、レコードやラジオを通してローカル・ミュージシャンがプロ化していくに従って、ローカル・ミュージックは消費者を意識した洗練されたものに変化し、スタイルも確立されていった。これが、現在のカントリー音楽というジャンルの発端だ 。
カウボーイ・ソング cowboy song
カ ントリー音楽とカウボーイのイメージは、今や切っても切れない。しかし、両者の結びつきは、実はそんなに古いものではない 。 前述のように、カントリー音 楽は1920年代のラジオおよびレコード産業の発展とともに台頭したが、カウボーイ ・ソングの歴史は19世紀にさかのぼり、19世紀終わりには新聞、ソン グ ・ブック、雑誌、ブロードサイドなどに現れるようになった 。 これら初期のカウボーイ・ソングは、大体がバラッドの形式で書かれ、物語を語っていくもの だったようだ 。
1920年代に南部で行なわれたレコード録音の中には、カウボーイ・ソングも何曲か入って いた 。 その中でも、 「歌うカウボーイの元祖 」といわれているのが、チャールズ ・T・スプレイグ(Charles T. Sprague)で、彼が1925年にビクターで録音した “When The Work’s All Done This Fall” (この秋の仕事がみんな終わったら)は、人気を呼んだ 。 ここでは、ノーマン・アンド ・ナンシー ・ブレイクによるカバーを紹介しよう(音楽5: 'When The Work's All Done This Fall' by Norman and Nancy Blake, Just Gimme Somethin' I'm Used To より)。
カウボーイのイメージがロマンティックに強調されるようになったのは、二十世紀になって、ティン・パン・アリー(Tin Pan Alley ニューヨークの一角にあった通りで、ポピュラー音楽出版社が集中していた)の作曲家やハリウッド映画がカウボーイを取り上げるようになってからだ。しか し、ウェスタンブーツにウェスタンハットで、ギター片手に歌うカウボーイのイメージが、カントリー音楽と密接に結びつくようになったのは、1930年代に 入ってからのことだ 。 その発端となったのが、 「歌うカウボーイ 」としてハリウッド映画に出演したジーン・オートリー(Gene Autry 1907〜1998写真とフィルモグラフィーその後サンズ ・オブ ・ザ・パイオニアズやロイ ・ロジャーズ(Roy Rodgers: IMDBより)など、カウボーイ・ファッションでカウボーイ ・ソングを歌う歌手が相次いで現れ、カントリー音楽における「歌うカウボーイ」のイメージをゆるぎないものとした 。
こうしてカントリー音楽に取り込まれた 「カウボーイ・ソング 」は、歌詞も歌手のルックスもロマンティシズムに満ちている。それは、19世紀のカウボーイそのもの、そして彼らが実際に歌っていたカウボーイ・ソングとはかけ離れた、ポピュラー音楽の一ジャンルである 。
ブルーグラス bluegrass
ブ ルーグラスは、1940年代に生まれた新しいスタイルのカントリー音楽だが、そのルーツは、イギリス系移民たちのフォーク・バンドの伝統にある 。 初期の フォーク・バンドは、バンジョー、マンドリン、フィドル、ギターなどの弦楽器を中心とし、踊りやパーティーの伴奏に使われていた。ブルーグラスの楽器の基 本編成は、これらの弦楽器に縦型のベースを加えたものだ 。
ブルーグラスが従来の伝統的なフォーク・ストリ ング ・バンドと大きく異なる点は、楽器奏者が歌も歌うこと(純粋な器楽曲もあるが)、そして、ジャズのように、歌の合間に楽器のソロが入ることだ 。 歌の 部分はほとんどが二声から四声のハーモニーで歌われ、音域は他のカントリー音楽よりも高めだ 。 ブルーグラスのレパートリーは、全般的に速いテンポなの で、楽器ソロ部分では特に技術的な熟練が要求され、聞かせどころとなる。
ブルーグラスの創始者として知られるのは、ビル ・モンロー(Bill Monroe)と彼のバンド、ブルー・グラス ・ボーイズ (Blue Grass Boys)だ。ブルーグラスの名称は、このバンド名から来ている 。 モンローのマンドリンと、バンドメンバーのアール・スクラッグス(Earl Scruggs)のバンジョーの演奏スタイルは、ブルーグラス特有のスタイルとして確立されたThe Music of Bill Monroe (amazon.com)。
スクラッグスは後に、やはりモンローのブルー ・グラス ・ボーイズのメンバーであったギターリスト、レスター ・フラット(Lester Flatt)とともにフラット ・アンド・スクラッグスを結成した(フラット・アンド・スクラッグス写真集 The Flatt and Scruggs Preservation Society!のサイトより)。彼らの演奏もここで紹介しよう(音楽6:'Roll In My Sweet Baby's Arms'The Best of Flatt and Scruggs(amazon.com)ヴォーカル・ハーモニーとスクラッグスのバンジョーに注目。
|