成立期以前(狭義の能の起源と呼びうる広義の能)

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以下に述べるのは、成立期とは異なり、文献資料のきわめて少ない時期についての能の歴史に関する推測である。

従来、しばしば能の起源の芸能とされてきたのは、奈良時代に盛んに行われた散楽(さんがく)である。しかし、散楽を能の起源とする説は妥当とは言いがたい。

そもそも、散楽を能の起源とする最大の根拠は、古く「散楽」が「猿楽」と発音が近く、混同されて後代「猿楽」と表記されるようになった、という点にある。しかし、「成立期」の項にも記したように、狭義の能は、狭義の猿楽(《翁》)とは起源が異なるものと推測される。したがって、散楽に関連させることが可能なのは、現段階では《翁》であって、狭義の能ではない。従来説では、往々にしてこの点が混同されてきた。

また、平安時代後期の藤原明衡の著作である『新猿楽記(しんさるがくき)』には、当時「猿楽」または「新猿楽」と呼ばれていた芸能の一種として、狂言の古い形態と言えるような芸態の芸能についての記述が見える。このことも、能を「猿楽」―「散楽」と結び付けたくなる要因であるが、ここでも「散楽」に関連させることが可能なのは、狂言であって、狭義の能ではない。狂言と能とは、遅くとも能の大成期には演者同士が同一のグループに属しており、同一の舞台で上演されていたことが知られているが、それ以前の歴史的な関係の詳細は解明されていない。両者がともにその芸にストーリー性を持つという点だけによって、両者の能の成立期以前からの歴史的な結び付きを指摘することはできないのである。両者の共通点は、ほぼ芸にストーリー性を持つという一点に留まり、一方、能の重要なファクタである仮面が、当時の狂言では用いられていなかったらしい点は、大きな相違と言える。少なくとも能の成立期以前、狂言と能とは、基本的に演者が行動を共にしたことのない、歴史的に見れば関係の稀薄な芸能であった可能性がある。それが、ストーリー性を持つという共通点によって、同一の舞台で上演されるようになったということは考えられてもよい。

このように、大成期から現在まで、能と同じ場で演じられてきた《翁》(狭義の猿楽)及び狂言は、それ以前の歴史において、能との関係が近いものであったかどうかが疑わしく、能と散楽とを結び付けて語ることは、少なくとも現段階ではナンセンスである。奈良時代の散楽として知られる芸態も、能との関わりを容易に指摘しがたい、奇術・曲芸的なものが中心である。

一方、近年、能の芸態の起源に当たる可能性を持つ芸能として注目されつつあるのは、日本各地の一部の神楽、及び、大陸(中国中部)に伝わる、神楽と同じく素朴な信仰と一体の民俗芸能としての儺戯(なぎ)である。たとえば、九州地方・中国地方の祭礼における神楽の中には、仮面を着け仮装(扮装)し、囃子(はやし)に乗じて舞を舞ったり素朴なストーリー性を持った演劇的な芸を行ったりする、能と共通のファクタを持つ芸態の例が少なくない。もっとも、それだけならば、関西地方の能が別地域にも伝播した系統の芸能がそれらの神楽ではないかという憶測も成り立つ。しかし最近、大陸の芸能が、九州地方・中国地方の上記の神楽と、仮面の使用・仮装(扮装)性・囃子などの点において共通することが次第に明らかにされてきている。したがって、むしろ、九州地方・中国地方の神楽が、狭義の能に先行する芸態を残している可能性が指摘されよう。

つまり、基層文化(国家レベルではなく民俗レベルの文化)として、大陸から海を渡り九州地方・中国地方などに祭の芸能として伝播・定着した芸能――これらを広義の「能」と呼ぶことも可能である――の流れを()むものが、関西地方において、《翁》(狭義の猿楽)と同じ場で演じられるようになった。それが、狭義の能ではないか、という説が成り立つのである。また、そのような説の下では、狭義の能が、他地域の上記の類の芸能(広義の「能」)と比較して言葉(シナリオ)が重視されるなどの特徴を持つのは、祝言(めでたい言葉)を重視する《翁》・秀句や言葉による風刺(ふうし)といったファクタを持っていた可能性のある狂言など、関西地方における他芸能の芸態を一部取り込んで変容した結果ではないかとも推測される。

このように、現在、能の起源についての学説は、大きな転換期を迎えつつあると言える。