成立期

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総合

鎌倉時代から南北朝・室町時代(能の大成期に当たる)に入る頃までの能、つまり能の成立期とも言える時期に必須のファクタは、次のとおりである。

演者
被差別民としての能の専門の芸能者(現在その芸能者を「能役者(のうやくしゃ)と呼ぶ)によって演じられたと見られる。
上演の場
関西各地の祭を基本とすると見られる。
芸態
仮装(扮装)した俳優が登場し、その中には仮面を着けた俳優が含まれること、及び、芸にストーリー性を伴う(ごく素朴なストーリー性を含む)ことであったものと推測される。その根拠は、主に、当時及び能の大成期の文献資料、及び、現在も各地に伝承される神楽の芸態にある。

これまで、能の演じられる場、またその芸態についての、文献資料を用いた研究は、十分になされてきた。そこから知られることは、大まかに言って、次の3点である。

  1. 能は、遅くとも成立期のある時点から、《(おきな)》(狭義の「猿楽(さるがく)」)と同じ場で、同じ舞台を用いて演じられてきたということ。
  2. 能の演者(芸の担当者)は、《翁》の演者(芸の担当者)とは異なっていた、つまりそれぞれの職掌(しょくしょう)が異なっていたということ。
  3. 《翁》と能とでは、《翁》の方がより儀式性が高く、能はより娯楽性(エンタテインメント性)が高かったということ。

上記3点について、ここで注釈を加えておこう。

1. は能の定義に関して重要な事柄であり、歴史的に見て《翁》(狭義の猿楽)と上演を共にしてきた芸能を、能と定義してよかろう。後述するように、その起源と推測される芸能はあり、それらの一部を広義の「能」と呼ぶことも可能であろうが、それらは、《翁》と共に上演されない点において、狭義の能と区別される。

2. は、能という芸能が成立期以降「猿楽」と呼ばれることもあったが、《翁》と能とは元来別の芸能であり、厳密な意味で、能を「猿楽」と呼ぶことはできない、ということの根拠になる。また、大成期以降の能の活動の中心となる大和猿楽(やまとさるがく)四座(よざ)においては、大成期以降、《翁》の芸をも狭義の能の芸の担当者が担うようになった、という、職掌に関する歴史的変化があった。

3. に関して、祭のプログラムは、少なくとも日本においては、たいてい儀式性から娯楽性へと移行するが、《翁》と能の関係もその例に()れず、能の成立期から、《翁》が先に演じられ、能がそれに続いて演じられたようである。この上演順は、現代にまで継承されている。