1.2 嘉永六丑年夏異船聞書(nakai0698)

叢書『野辺の摘草』第11巻

 冒頭は、「嘉永六癸丑年六月三日未ノ中刻相州浦賀沖に異国船四艘渡来候」となっている。「未の中刻」は午後2時頃、「相州」は相模国、今の神奈川県である。アメリカのペリー提督に率いられた艦船4隻が、嘉永6(1852)年6月3日に浦賀沖に投錨した。

 史料には、6月3日の様子およびその後の幕府の対応等について書かれている。また、艦船4隻の概要の記述がある。

 アメリカの国書の受け取りについては、紆余曲折があったが、6月9日にペリー一行が久里浜に上陸し、アメリカの国書を日本側が受け取ることになった。その時のアメリカの人員の詳細および日本側の責任者の名前がわかる。6月11日に浦賀奉行が受け取った贈り物および日本がアメリカに贈ったものが書かれている。翌年に条約を締結することの約束をとり、ペリー一行は11日に浦賀を離れた。