1.3 水乱記 (nakai0632)

 表紙は『雑書』となっていて、いくつかのことが書かれているが、最初は「水乱記」となっている。これは一般に「桜田門外の変」といわれる事件である。最後は「新説書」となっているが、これには「安政の大獄」について書かれている。

 「水乱記」は、江戸城桜田門外において、彦根藩主の大老井伊直弼が暗殺された事件で、万延元(1860)年3月3日に起こった。暗殺に加わったのは、水戸・薩摩の浪士で、井伊が安政5(1858)年6月に勅許を得ずに「日米修好通商条約」の調印をしたこと等の反発であるとされている。「水乱記」の書き出しは、「三月三日暁ヨリ雪降出し」となっていて、雪であることが書かれている。

 この事件については、吉村昭の『桜田門外の変』(2)という小説がある。当日は雪であったとされていたが、吉村昭はこれに疑問を持った。西周夫人『升子の日記』(3)に「雪」の記述があるのを発見し、納得したとのことである。これは、作家が何にでもこだわるということのエピソードとされている。『升子の日記』のこの日の記述は下記の通りである。

三月三日 雪 五ツ半頃さかりにふる。庭の一間先の木が見わかぬ位ひなりき。九ツ過頃はやみたり。今朝、桜田御門井伊様の事、魚屋来り申たれども、何を申かと取あげざりしに、御返りになりまつたく事件有しとわかり驚きたり。(3月3日は、グレゴリオ歴で3月24日(4)。五ツ半は午前9時頃。九ツは正午頃)

  彦根方藩士の死傷の状態について、「水乱記」と「小説」で少し異なっている。また、書かれている順番や名前の一部も異なっている。違いはわずかであるが、異なった情報源があることがわかる。

 「水乱記」 死亡:4名、深手:1名、手負:14名、薄手:1名

 「小説」  死亡:4名、深手:1名、手負:12名、薄手:4名

  また、参加した水戸藩の人たちについても、異なっているところがある。