D2-2 謡曲『羅生門』においての綱
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『能楽絵図』「羅生門」
絵師:月岡耕漁 判型:大判錦絵
出版:明治34年(1901)
所蔵:立命館ARC 所蔵番号:arcUP1001.【解説】
耕漁の『能楽図絵』の内の一枚。渡辺綱(ワキ)が鬼神(シテ)に斬りかかろうとする場面を描く。
能『羅生門』は観世小次郎の作。大江山で酒呑童子を退治した後、源頼光と藤原保昌が頼光四天王を集めて酒宴を開く。渡辺綱はその席で保昌から羅生門に鬼が出るという噂を聞くが信じず、その真相を確かめるために羅生門へ向かう。羅生門に到着した綱が証拠の金札を置いて帰ろうとした時、背後から鬼神に襲われる。応戦した綱は鬼の腕を斬りおとす。鬼は「時を待ってまた取ろう」と言い残して空へ消える。
大江山伝説と綱の鬼退治伝説に時系列の繋がりをつけたのはこの能『羅生門』が最初である。それにより名前こそついていないものの後世の伝説に登場する茨木童子に相当する鬼が誕生したのもこの謡曲『羅生門』である。この説は時代が下るにつれて広く人口に膾炙し、江戸時代天和元年頃成立した『前太平記』にも記述が見られる。(菅)『前太平記』は江戸時代天和元年頃に藤元元によって書かれた通俗史書である。
第20巻の「羅生門の妖鬼退治(異説)」の段に「諺に曰く、大江山の首領は酒顛が腹心の眷属、茨木と云ふ者なり。能く幻術行ひ、神通変化の妖鬼なり。大江城落城の後、帝畿東寺の羅生門に住みて、往来を妨げ人民を害す。恐怖せずと云ふ者なし。」という記述が見られる。この段では羅生門の鬼の噂を信じなかった綱が金札を持って羅生門に赴き、鬼と対峙し片腕を斬り落すも物忌みの最中に伯母に化けた茨木童子を館の中に入れてしまい斬った片腕を奪い返されるという話が書かれている。
作者は「右此一章未詳其出証。」(右此の一章出証未だ詳らかにあらず)と注記しておりこの逸話の明確な出典は明らかではなかったようだ。
しかしこの『前太平記』が刊行された時代には大江山伝説と綱の鬼退治伝説が時系列のつながりを持っているだけでなく、綱と対峙した鬼が混同し同一視され茨木童子という名前であるという説は広く知れ渡っていたことが窺える。
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【参考文献】
島津久基『羅生門の鬼』(平凡社,1975)
板垣俊一校訂『叢書江戸文庫③ 前太平記[上]』(国書刊行会,1988)
川鍋仁美「茨木童子研究」(日本文学(108),pp77-90,2012) -