D2-1 境界としての羅生門.

『東海道名所つゝき』「羅生門ノ古図」

絵師:河鍋暁斎 判型:大判錦絵
出版:文久3年(1863)
所蔵:立命館ARC  所蔵番号:arcUP1743.

【解説】
 羅生門は天元3年(980)に暴風雨の影響で倒壊してから一度も再建されていない。すなわちこの絵は暁斎が想像して描いた羅生門である。渡辺綱が羅生門で茨木童子と対峙した時に持ってきた金札を挿した跡だと思われる「金札石(刀石)」や「鬼神ノ柱」が描かれている。
 羅城門は古く平城京建設の際に都の中心を貫く朱雀大路の南端に建設された洛中と洛外を区切るための門であり、道饗祭や四角四堺祭など鬼や疫病が洛外から洛中に侵入することを防ぐための儀式がしばしば行われた。また、その性質により律令制の法令にも度々その名前は現れる。つまり羅城門はその「門」という視覚的な意味合いだけでなく儀式的、法令的な意味でも人為的に境界としての性格を付与された場所ということである。そのため羅城門は倒壊してからも様々な資料に名前が登場し、そのたびに場所の持つ境界性が強化・更新されていった。また、羅城門の持つ異界との境界というイメージは広く平城京・平安京に住む人々にも共有され、倒壊してから長い時間を経た後に成立した『江談抄』『今昔物語集』『十訓抄』にも羅城門は登場し境界としての役割を果たしている。鎌倉時代に書かれた『世継物語』の中では羅生門(らいせい門)は「瓦葺で白土塗、金物飾りの門」だとされている。
 現代でも芥川龍之介の小説『羅生門』の題材となった『今昔物語集』巻二十九第十八「羅城門登上層見死人盗人語」は、よく知られている。(菅) .