E1 魔界としての鞍馬山.

 京都を北に遡った境界の地「鞍馬山」。その西北、貴船へと続く山奥は「僧正が谷」という魔所で、山岳修行者の霊地である。鞍馬山の僧正坊(→E1-2)とは、この鞍馬山の奥の僧正が谷に住むと伝えられる大天狗で、別名鞍馬天狗ともいわれる。
 源義経は、この鞍馬寺で鞍馬天狗から平家討伐のための兵法を授けられたという。鎌倉時代中期に成立した『平治物語』の諸本の一部には、「僧正が谷にて、天狗・化物の住む所へ夜な/\行て兵法をならひ、彼難所を夜な/\超えて貴布禰の社へそ参りける。」と書かれている。また、室町時代中期頃成立の『義経記』の「牛若貴船詣の事」には、「鞍馬の奥に僧正が谷といふ所あり。(略)人住み荒し、偏へに天狗の住家と成りて、夕日西に傾けば、物怪をめきさけぶ。」という記述がある。

 義経は源義朝の九男として生まれたが、生まれてすぐ父義朝は平治の乱(1159)で敗死してしまう。義経こと牛若丸は母及び2人の兄と共に平氏に捕らえられたが助けられ、後にこの鞍馬寺に預けられたのである。牛若丸は能「鞍馬天狗」おいて何の才能も持たない者として描かれている。その姿は「万なにごとも面目もなきこどもにて、月にも花にも捨てられる。」と描写される。
 その姿は鞍馬天狗との兵法修行を遂げた後に大きく変化する。『平治物語』で「九尺の築地を一飛びのうちに宙より飛び返り。されば早足、飛び越え、人間の技とは覚えず」と伝えられるほどの武術者に成長するのである。異界の地の鞍馬での天狗の兵法修行を通して、平家を滅ぼすまさに魔力を得たのである。(近a).

【参考図】
「鞍馬山ノ僧正坊」「木の葉天狗」「御曹子牛若丸」

絵師:歌川豊国〈3〉 判型:大判錦絵 3枚続
出版:嘉永6年(1853)
所蔵:立命館ARC  所蔵番号:arcUP3977~3979.