1778-1838。初代歌右衛門の子。前名加賀屋福之助。後名初代中村芝翫、中村玉助、初代中村梅玉。俳名梅玉。屋号は加賀屋。寛政3年(1792)3代目歌右衛門を襲名。文化・文政期の大坂を代表する名優。敵役・立役・女方・所作事を得意とし、役柄の分担を越えてほとんどの役をこなした。容姿には恵まれなかったが、名人といわれ、工夫に富んだ芸で三都の舞台で活躍した。変化舞踊で江戸の3代目坂東三津五郎と競い、上方の2代目嵐吉三郎とは人気を二分した。文政3年(1820)からは金沢龍玉の名で狂言も書いた。
1778-1838。初代歌右衛門の子。前名加賀屋福之助。後名初代中村芝翫、中村玉助、初代中村梅玉。俳名梅玉。屋号は加賀屋。寛政3年(1792)3代目歌右衛門を襲名。文化・文政期の大坂を代表する名優。敵役・立役・女方・所作事を得意とし、役柄の分担を越えてほとんどの役をこなした。容姿には恵まれなかったが、名人といわれ、工夫に富んだ芸で三都の舞台で活躍した。変化舞踊で江戸の3代目坂東三津五郎と競い、上方の2代目嵐吉三郎とは人気を二分した。文政3年(1820)からは金沢龍玉の名で狂言も書いた。