長江家住宅・この展示について

 ID:nagaeke_0241、資料形態:ガラス乾板(120㎜×165㎜)

 長江家住宅は、現在も新町通仏光寺上るに残る間口7間(13m)、奥行30間(54m)、面積200坪(700平米)の大規模京町家です。職住一体の典型的な京町家の佇まいを継承しており、2005(平成17)年4月に、主屋北棟(内装省く)、主屋南   棟、化粧部屋、離れ屋敷、土蔵2棟の計6棟が「京都市指定有形文化財」の指定を受けています。文政5(1822)年、三代目当主の大坂屋伊助が現在の主屋北棟部分35坪の土地家屋を買得して以来、この地で呉服関連業を代々営んできました。残念 ながら、元治元(1864)年の禁門の変による京都大火で、当初の家屋は全焼となりましたが、慶応4(1868)年に現存の主屋北棟が再建され、明治8(1875)年には、その背面裏地に大蔵が移築されています。明治39(1906)年、六代目当主の長江伊三郎が南隣地を取得し、同40(1907)年、同地に表屋造の主屋南棟、離れ座敷などを新築、新蔵を移築しました。これに伴い、職住機能の大半は南棟に移され、江戸時代より86年間店舗兼住宅としていた北棟は隠居棟として利用されるようになりました。その後、大正4(1915)年に化粧部屋と浴室が増築され、現在の規模となりました。

長江家住宅の公式ホームページ

 現在の長江家住宅(撮影:KKPO浜田昌樹)

 長江家旧蔵写真は、長江家8代目当主の長江治男氏より立命館大学アート・リサーチセンターに寄贈いただいたガラス乾版やフィルム、現像写真など、約2,500点にものぼります。本展示では、それらをデジタル・アーカイブした画像データを用いています。昭和初年頃から平成初年頃まで約65年もの間、7代目当主を務めた長江伊三郎(治男氏の父)の趣味は、カメラでした。寄贈いただいた写真の多くは、大正後期から昭和初期にかけて、伊三郎本人もしくは周囲の人々によって撮影されたものを中心とします。長江家住宅の所在する船鉾町は、祇園祭の山鉾町の一つであり、長江家の当主は代々、船鉾の運営に関わってきました。とりわけ、祭り好きであった伊三郎は船鉾を中心に、当時の祭礼の様子を数多く活写しており、戦前の祇園祭の賑わいを現在に伝えてくれています。今回の展示では、一部の写真を厳選し、それぞれに簡単な解説を付けて紹介しています。

【この展示の参考文献・ホームページ】

・祇園祭編集委員会・祇園祭山鉾連合会『祇園祭』、筑摩書房、1976。

・佐藤弘隆「京町家(京都市)」、日本民俗建築学会編『民家を知る旅日本の民家見どころ案内』、2020。

・佐藤弘隆・矢野桂司『船鉾:財団法人設立五十周年記念誌』、公益財団法人祇園祭船鉾保存会、2018。

・藤井大丸公式ホームページ「ABOUT:HISTORY」(https://www.fujiidaimaru.co.jp/about/)

【長江家住宅のバーチャルツアー】

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