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上演:明治45年(1912) 4月27日 東京・帝国劇場
外題:道成寺・タンタヂイルの死
資料番号:arcBP02-0010-02-05 所蔵:立命館ARC近代に入ると、歌舞伎を取り巻く演劇環境は大きく変化する。江戸時代には、生身の人間が演じる大衆演劇といえば歌舞伎が中心であったが、明治以降は、新派・新劇・オペラ・音楽会・バレエ・西洋演劇など、多様な舞台芸術が台頭した。歌舞伎は初めて本格的な競争相手を持つこととなり、劇場や観客文化、さらには宣伝・観劇媒体にも変化が生じていく。
そのなかで流入したのが、西洋の「プログラム」文化である。欧米では、上演順・出演者・曲目・解説などを整理して記載した冊子型プログラムが広く定着しており、日本でも西洋演劇をはじめとする歌舞伎以外の演劇興行を通じて、「プログラム」という名称と形式が普及し、やがて歌舞伎界にも取り入れられていった。
本作は、明治45年(1912)に帝国劇場で上演された「道成寺」と「タンタヂイルの死」のプログラム目次部分である。誌面構成は従来の番付とは大きく異なり、演目・幕数・配役などが整理された近代的なレイアウトとなっている。また、日本の古典題材である「道成寺」と、西洋劇を翻訳した「タンタヂイルの死」が同一冊子内に並んでいる点にも、近代演劇特有の状況を見ることができる。「タンタヂイルの死」は小山内薫訳により、二代目市川左團次ら歌舞伎役者によって上演された作品である。小山内と左團次は自由劇場を創立して本格的な翻訳劇上演に取り組むなど、近代演劇運動を牽引した。
このように、西洋演劇の受容は上演内容だけでなく、観客へ情報を伝える印刷媒体にも大きな変化をもたらしたのである。なお、西洋劇の歌舞伎化という問題については、後の「3.5.7. 西洋種の翻案劇」で詳しく扱う。ここではまず、従来の番付とは異なる、「プログラム」という媒体が登場した点に注目したい。(宮﨑・戸塚)
3.2.5.プログラム1
