B6-05 太閤西海に難風にあう

巻7

秀吉は自ら朝鮮に赴かんと名護屋に向かって進発する。長門の沖、赤間関音渡の瀬戸に船を進めると北風が強く吹くのでしばし船をとどめようとすると、船頭の与次兵衛は「臆病なる方々かな」とあざ笑い、船を進める。すると秀吉の船は大岩の上に乗り上げてしまい、秀吉は岩の上に飛び降て毛利秀元の小舟に助けられる。船頭の与次兵衛は、秀吉に兄を殺された恨みをはらそうとわざと船を岩に乗り上げたのであった。与次兵衛は首を斬られ、海中に沈められ、この場所は「与次兵衛が瀬戸」と呼ばれるようになった。

関連記事
  • B6-05-01

    B6-05-01

    歌川国芳

    「名将九州より上洛...