00 ごあいさつ

  アート・リサーチセンターが所蔵する京都の風景浮世絵版画は、現在、世界でも有数の充実したコレクションとなっています。立命館創始140年、学園創立110年周年の記念として、今回、この京都風景画と京都の古地図を展示し、学園の関係の方々に鑑賞していただくことにしました。

 そもそも日本では、風景画という概念は弱く、歌枕や神社仏閣などを描いた「名所絵」が描かれてきました。明和末年頃には、浮絵という遠近法を使い、レン ズ を通してさらにその立体感を強調する眼鏡絵が京都の名所を描いており、これが京都の色摺浮世絵版画の最初に位置します。
安永9年(1780)に刊行された『都名所図会』は、著者秋里籬島による豊富な情報と竹原春朝斎による魅力的な名所絵で、大ヒットし、『都名所図会拾遺』 という続編が生み出されただけでなく、各地に名所図会が編纂されました。また、享和2年(1802)から始る十返舎一九の滑稽本『道中膝栗毛』は、日本中 を旅する主人公を据えて、日本に旅行ブームを引きおこしていました。
  このような状況下にあって、浮世絵界では、天保2年(1831)、葛飾北斎による「富嶽三十六景」が生み出され、さらにはそれに対抗するかのように歌川広重が「東海道五十三次」(保永堂版)を出して名所絵・風景画というジャンルが確立するのです。
  本格的な京都の風景版画は、広重による「京都名所之内」が早く、上方の絵師では、初代長谷川貞信の「京都名所之内」がおそらくは広重を意識して制作されました。やはり上方の絵師である芳梅は、「滑稽都名所」を残しています。
  こうした先例を踏まえて、幕末も押し詰まった1864年頃に「都百景」が目録も含めて102枚という大シリーズで完成したのでした。
 
 現在、グローバルCOEプログラムという教育研究プロジェクトを進めており、研究のプラットフォームとしてWeb上の地図「バーチャル京都」が稼動し、成長していっています。今回の展示品もこの新世代の空間に置きました。そして、本展示会場でデジタルミュージアム機能も体験していただけるよう、システムを設置しています。

 末筆になりましたが、本展覧会を開催にあたり、ご協力をいただいた関係諸氏に御礼を申し上げます。

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