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総合

小倉擬百人一首 第三十三番 紀友則

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久かたのひかりのとけき春の日にしづ心なく花のちるらん

翻刻:駿河の郡領某の愛子人商人に奪われしを母君驚き憂の余り狂女と なりてさまよいつゝ端なく 我子に近江路や三井のあたりに再会なせしを謡曲に依りて爰に模したり 柳下亭種員筆記

歌意:日の光がうららかなのどかな春の日にどうして落ち着いた心もなく桜は散っていくのだろうか。

絵師:歌川広重

彫師:竹

名主単印:「渡」

出典・考察

【余説】   謡曲 世阿弥作『三井寺』によること 種員が記している。広重画は、第二段の物狂いで、八月十五夜に寺僧は三井寺に頼って来た千満を伴って月見をしていると、狂乱の母が月の興に乗じて鐘をつくところ。本歌は落花を惜しむ気持ちを詠嘆した歌であるが、狂女にとっては諸行無行と響く鐘の音にも「しづ心なく花のちる」のを眺めいっているばかり と見立てた風俗絵。

〔古典聚英9〕浮世絵擬百人一首 豊国・国芳・広重画平成14年(2002),吉田幸一,笠間書院


能楽において母と息子の再会は秋の8月の満月の下おこるが広重はこの場面を春に移し舞い散る桜の木を加えている。これは在原業平の有名な歌の舞い散る花びらと狂気を結びつけたものを思い起こさせる。“世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし” 能楽において女は鐘の紐を引く事によって鐘の音を聞く。一方で歌舞伎版ではこの場面は女が槌で鐘を打つことを示している。再び能楽版では縄を引っ張っている間彼女は扇を持っている。ここで彼女がそれを落としているのは明白である。扇の雲柄は能楽から一節を呼び起こす。“今私は夜の鐘を鳴らす。そして急に黒い雲が晴れたのを感じる”

The Hundred Poets Compared - A Print Series by Kuniyoshi/Hiroshige/and Kunisada 2007,Henk J. Herwig/ Joshua S. Mostow,Hotei Publishing

謡曲『三井寺

《あらすじ》

わが子千満を人買いにさらわれた母が清水の観音に参ると、江州三井寺へ行けという夢のお告げを受ける。夢占いの男の判断も吉であったため近江へ向かう。三井寺ではちょうど八月十五日とあり住職たちが稚児を伴い月見をしている。この稚児こそわが子の千満でありこの寺で僧の弟子となっていたのであった。母は長らくの物思いから物狂いとなっていたが道を急いで三井寺に着く。狂女は愛児の行方を案ずる悲痛な胸のうちを訴え美しい鐘の音に仏縁を祈って鐘を撞きかける。これを寺僧にとがめられると狂女は古詩をひいて許しを求め月の興に乗じて鐘を撞いて戯れる。また興奮が収まると静かに澄み渡る琵琶湖の夜景を心ゆくまで眺めて時をすごす。やがて稚児がわが子千満であると知った狂女は狂気も直ってともに郷里に帰り富貴の身となる。

絵解き

ここに描かれている画題は謡曲『三井寺』である。本来の『三井寺』の季節は八月十五日の中秋の名月の日つまり秋であり桜の舞い散る春ではない。

狂女もこの鐘を鳴らそうとする場面では扇を持ち能の作り物である鐘を鳴らそうとしているがこの狂女は撞木をもち、頭には狂乱状態を表す鉢巻をつけている。

この広重の描いた作品の狂女は能というよりも歌舞伎風である。


歌舞伎の作品を描いたものでこの構図に良く似たものもみられる。

これらは「隅田川」と「娘道成寺」という作品でありどちらにも物狂いが登場する。



そして三井寺と桜という組み合わせは不自然なものではない。三井寺は桜の名所として現代も広く知られる場所であり、広重自身も桜と三井寺という組み合わせの絵を残している。

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さらに鈴木春信の描いた「風流うたい八景三井晩鐘」とこの作品には多くの共通点が見られた。 その共通点とは鐘と桜と狂女、頭にまかれた鉢巻そして雲の描かれた扇である。

着物の模様にも類似する所が指摘出来る。

広重が描いた女の着物の柄は桜と車の組み合わせであり帯は波、水である。

一方春信の作品は全く同じ図柄ではないが着物の柄は水と桜であり帯には車が描かれている。

広重は歌からこの絵を描いたのではなくこの春信の絵を下敷きにして描いたといえるのではないだろうか。


なぜ春信は雲の扇を持たせたのか。

雲には鶴岡真弓氏によると仏教、浄土のイメージがあった。

三井寺は寺であり仏教のイメージをもつ雲が描かれるのはおかしなことではない。

さらに鐘の音は下の謡曲の中にあるようにここでは諸行無常なものとして表されている。

三井寺は桜においても有名であった。満開になってもいづれかは舞い散ってしまう桜への無常。

これらには仏教的な無常観がこめられている。


以下は「三井寺」より「鐘の段」といわれる一説からである。

許し給へや人々よ、煩悩の夢を覚ますや、法の声も静かに、先初夜の鐘を撞く時は諸行無常と響くなり 後夜の鐘を撞く時は是生滅法と響くなり 晨朝の響きは生滅々已 入逢は寂滅 為楽と響きて、菩提の道の鐘の声、月も数添ひて百八-煩悩の眠りの、驚く-夢の夜の迷いも早つきたりや後夜の鐘に、我も-五障の雲晴れて、真如の月の影を眺めおりて明かさん。 引用:謡曲百番

この段は「涅槃教」がもとになっている。春信は仏教的なものを多くこの絵の中に描いた。この作品には仏教的な意味合いがこめられているものといえるのではないか。


広重は春信の描いたものをもとにこの絵描いたと思われるが、春信とは違い扇を落とさせ撞木を持たせたのはより狂女の狂乱状態を強調させて、鬼気迫るものとさせたかったからではないだろうか。


<参考文献>

The Hundred Poets Compared - A Print Series by Kuniyoshi/Hiroshige/and Kunisada 2007,Henk J. Herwig/ Joshua S. Mostow,Hotei Publishing

〔古典聚英9〕浮世絵擬百人一首 豊国・国芳・広重画 平成14年(2002),吉田幸一,笠間書院

『能・狂言事典』、1987年、編 西野春雄・羽田昶、平凡社 

『能楽ハンドブック改訂版』、2000年、監修 戸井田道三、三省堂

『新古典体系57 謡曲百番』、1998年、校注 西野春雄、岩波書店

『新編 和歌の解釈と鑑賞事典』、1999年、編 井上宗雄・武川忠一、笠間書院

『新 桜の精神史』、2002年、牧野和春、中央公論社

『舞踊集』、1988年、編 郡司正勝、白水社

『一歩進めて能鑑賞 演目別にみる能装束』、2004年、観世喜正・正田夏子,淡交社

『装飾する魂 日本の文様芸術』、1997年、鶴岡真弓、平凡社

『浮世絵事典』1990年、吉田瑛二、画文堂



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