紀友則

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生没年未詳。紀貫之の従兄弟あたる。 寛平九(八九六)年土佐掾、十年少内記を経て、延喜(九〇四)年大内記。 『古今集』撰者の一人であったがその完成途上に没したらしい。 『古今集』には四十六首、第三位の入集歌数を誇っている。 三十六歌仙の一人。

〈参考文献〉

『新編和歌の解釈と鑑賞事典』井上宗雄・武川忠一編、笠間書院、1999年きの とものり


画題

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解説

前賢故実

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父親は有友といい、宮内権少輔を務めていた。友則は和歌に秀でて、従兄の貫之と同様に有名であった。寛平中、宮中で行われた歌合では、友則は左列にいて新鴈を詠んだが、講師が友則の歌の初句を読み上げたとき、右列の者は季節を間違ったと思い友則のことを笑った。しかし、講師が友則の歌の全章を読み終ると、先ほど笑った者は沈黙になり、がっかりして恥ずかしかった。延喜初年、大内記に任ぜられ、六位を授かれた。

そのうた

はるがすみ かすみていにし かりがねは いまぞなくなる 秋ぎりのうへに

(『前賢故実』)