005-0367

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【翻刻】

箱根

工藤左エ門祐経は所領の遺恨に依て河津三郎祐保を討 其二男箱王父の菩提の為とて箱根の別當きやうじゆうの弟子となる しかるに人となるにおよんで 父の仇を討ん志を定む ある時當山へ左エ門祐経来る時祐経に對面しあかぎづくりの短刀を貰ひ 弥敵を討んと思ひそかに當山をぬけ出下山なし北條を頼てゑぼし子となつて 兄弟共(とも)に十八年のかん苦を経て終に建久四年五月廿八日冨士の裾野に於て 兄十郎と共に工藤と討年此の本望を達ス


絵師:国芳

落款印章:一勇斎国芳

彫師: -



【題材】

曽我兄弟の弟である箱王が、父の仇である工藤祐経にもらった赤木柄の刀を持って構えている場面である。曽我兄弟の兄は一万という。   


【箱根】

相模国足柄下郡のうち。中世における箱根の発展は、平安末期~鎌倉初期に著しい隆盛を見る箱根権現の活動と深く関わっている。源頼朝をはじめ、歴代将軍およびその他有力武士など箱根権現に対する崇敬は篤く、しばしば参詣した。平氏追討に挙兵した頼朝は、石橋山の合戦に敗れて、伊豆山中に逃げ込んだ。この時、筥根山別当行実と弟僧永実が、箱根神社にかくまい助けている。このことにより、頼朝との親交は深くなり、社殿・寺院の興隆に力を貸したという。(参考文献 『角川日本地名大辞典 14神奈川県』 角川書店 昭和五十九年六月)


〈『曽我物語』における箱根権現〉

『曽我物語の作品宇宙』によれば、「曽我五郎時宗は、幼名を箱王といった。その名の由来は、父河津三郎助泰が箱根権現を篤く信仰していたからだという。『曽我物語』巻四によれば、父の孝養のために十一歳のときに箱根に入山した。箱王が権現に向かい、祈念を行う場面があるのだが、そこでは、箱根三所権現の本地が詳しく説かれることを特徴とする。また、巻七には兄弟が富士野の狩場へ、向かう途中、箱根に立ち寄ると、別当がこれに応じて訓戒を施す場面がある。別当の訓戒は、様々な仏説を引く長文のもので、一種の説法の趣をもつ。こうした場面は、巻十、大磯の虎と兄弟の母が法要のために箱根を訪れるくだりにも見られ、別当は供養のためにここでも説法を用いている。このように箱根を舞台にする場面では、長文の願書・説法形式の記事を含むことを特色とする」と言っている。私はこのことから『曽我物語』の作者は不明であるものの、作者は僧であったのではないかと推測した。

【富士】

『曽我物語の作品宇宙』によると、「箱根同様に、重要な役割を果たしているのが、「富士」である。曽我兄弟の敵討ちが行われたのも、富士の裾野であった。「富士」からは、兄弟が仰ぎ見た富士山そのもの、頼朝の狩りの場、兄弟の敵討ち成就の場・生涯を閉じた場・兄弟を祀る地となったその裾野、登場人物からいたる場面で祈念の対象とされ、果ては、兄弟がその客人神として祀られることになる富士浅間大菩薩が浮かぶ」ということである。つまり、箱王にとって、富士とは非常に重要な場所で、あらゆる起点・終点となる場所なのである。


【曽我物】

『日本史大事典』によると、「曽我五郎・十郎兄弟の仇討に材を得た芸能演目の総称。能・幸若舞・浄瑠璃などおびただしい数にのぼるが、とくに歌舞伎では重要視されてきた。享保以後の江戸の初春興行には必ず曽我狂言を出す慣習が生まれたとされている。江戸の庶民が五郎を御霊人とあがめ、荒事の演出による曽我物を年頭の祝言と考えたためであろう」ということだ。『日本架空伝承人名事典』によると、脚本はその都度新作されたが、荒事の五郎に対し、十郎を優美な「和事」の役として活躍するという場面が生まれたが、その一番目大詰には兄弟が敵工藤祐経に会見する「対面」の場面が初春を寿ぐ儀式的な一幕として必ず設けられた。これは、歌舞伎の様式美を発揮する演目として今日も残っている」ということだ。謡曲には『小袖曽我』などもある。

【考察】

(人物)

国芳が描いた他の絵からも、紅葉と鹿がでてくるところから、描かれている人物は箱王と考えて間違いないだろう。(下図参照)

絵で箱王が持っている赤木柄の刀は、現在、箱根神社に奉納されている。坂井孝一氏によると、「箱根の稚児のなかに河津三郎の遺児がいると伝え聞いて警戒していた祐経は、僧侶や稚児たちにまぎれて祐経の姿を見ようとやってきた箱王をみつけ、自分のもとへ招きよせる。そして、自分は箱王の親族で、兄弟にとって、これ以上有力な後ろ盾はいないなどと語り、近づきの印として赤木の柄の短刀を与えたのであった」ということだ。五郎はこの赤木柄の刀で工藤祐経の止めを刺した。このことから、工藤祐経への復讐心がこの刀を与えられたときになおさら募ったと考えてよいだろう。僧侶になる修行をして、押し殺していた仇打ちへの思いを止めることができず、箱王は山を抜け出す決意を固めるのである。『曽我物語の史実と虚構』によると、山を抜け出したのは「十七歳になった九月の上旬」のことであるということだ。


(場所)

私の推測では、後ろの滝は白糸の滝に酷似していると思った。
白糸の滝http://www.harusan1925.net/0127.html
[[1]]によると、巻狩りの宿営はこの近辺で行われたということである。

白糸の滝は現在の静岡県の富士宮市に存在している。そして、箱根山は静岡県と神奈川県にまたがる山なので矛盾していない。

先ほども述べたように、箱王は仇の工藤祐経を討つ決意をして、修行していた箱根の山から抜け出すのである。この絵はその箱根の山を振り返っている場面ではないだろうかと私は思った。そこで工藤祐経にもらった赤木柄の刀を掴み、改めて、敵討ちの決心をしている場面だと私は推測した。題名が箱根である理由は分からなかったが、箱王が箱根にゆかりの深い人物であるからだと思う。

                                                                                                   



〈参考文献〉

『角川日本地名大辞典 14神奈川県』 角川書店 昭和五十九年六月

『曽我物語の作品宇宙』 村上美登志 至文堂 平成十五年一月

『『曽我物語』その表象と再生』 会田実 笠間書院 平成十六年十一月

『曽我物語の史実と虚構』 坂井孝一 吉川弘文間 平成十二年十二月

『現代語で読む歴史文学 曽我物語』 葉山修平 勉誠出版 平成十七年一月

『日本架空伝承人名事典』 大隅和雄 平凡社 平成十二年八月

『日本史大事典4 す~て』 平凡社 平成四年十一月


〈参考サイト〉

http://www.city.odawara.kanagawa.jp/encycl/sogabros/sg4.html

http://www.harusan1925.net/0127.html