古典芸能普及に果したCMの力

 古典芸能が一般には敷居の高いものであることは別項で述べた。これをテレビCMに使う場合のリスクは高いように思うが、映像作品としては、名品が幾つか認められる。古典芸能を使う一つの傾向の一つとして、外資系企業が日本市場に参入する場合がある。

 1969年のスミス・クライン・アンド・フレンチ・オーバーシーズ「コンタック600」は一つの例で、こちらは、全面的に松竹株式会社の協力が得られたらしく、歌舞伎座の全景や、故沢村宗十郎(当時、訥升)の鏡獅子を題材としている。腰元から獅子に化けるときに楽屋で化粧をするわけだが、隈取りや化粧の様子は、歌舞伎愛好者でもあまり見られるものではなく、この映像は、新鮮味があったであろう。このCMの工夫は、化粧をしているときに目、鼻、口、そして鬘を着けた頭を映し出しながら、それぞれの箇所に即効薬としてこの薬が機能するとしているところ。また、この風邪薬の特徴である長時間効き目が続くというイメージを時計の針の回転と獅子の立髪の回転とを重ねて見せているところである。
 また、1993年のユナイテッド航空「文楽」も同様である。はじめて海外旅行をする日本人を裃を着た侍(日本のビジネスマン)の文楽人形が演じる。ギターと三味線が重奏するBGの中、不安そうな侍は、自分の座席をみつけて座ってはみるものの横を見ると外国人のビジネスマン。添乗員も白人の女性、しかし、おどおどする侍の前に出された機内食は、しかしながらみなれた幕内弁当。「ユナイテッドは、日本の味、日本の言葉、そして日本の心でお迎えいたします。」のナレーションのあと、次の話掛けてきた添乗員は、笑顔満面の日本人女性となれば、すっかりリラックスする侍であった、というもの。
 こうした、CMは、明らかに外資系企業が、より日本人の心に中に入り込むために仕掛けた企画と考えることができる。
 余談になるが、文楽を扱った名CMの一つに、多聞酒造の「清酒多聞」(製作:ハイスピリット株式会社)がある。この作品は、冒頭から、実際の舞台上で文楽が演じられているかのようなセットで始まり、台本(鷲谷樗風)も作曲も振付けもすべてこのCM用に新たに作ったもので、語りも本格的なものである。実際は、劇場裏の倉庫に舞台を組んだものとのことであるが、文楽を知らない世代や地方で、本格的な文楽の演技をみることができた貴重な企画であった。私も、子供の時代に北海道でこのCMを見た記憶があり、もちろん文楽のことは全くしらなかったが、人形の精緻さにびっくりしたことを思い出す。
 こうした中で、「違いがわかる男のゴールドブレンド」で有名な、ネッスル日本の「ゴールドブレンド」のシリーズがある。もちろん、これも外資であるが、1972年に中村吉右衛門が「ちがいがわかる男」として登場した。この時も、珍しく実際の歌舞伎の舞台映像を使っており、素顔と化粧・隈取りの映像を重ねてみせるあたりは、先のコンタック600と同様の趣向であるが、「伝統の中に美しさを求め、感動を作る」「今よみがえるる味と香り」とのナレーションと上品さを強調して、この海外からのこの商品に対して、伝統色を重ねることで、信頼性を高めることに成功している。
また、このシリーズの最高傑作は、なんと言っても1978年の野村万作出演になる「挑む」である。釣狐の演技をさまざまなカメラワークでみせるだけでなく、その前後に、「狂言師は猿に始まり狐に終わる」、「3才にして猿を演じ、今狐に挑む」というナレーションを付け、歴史のあり、奥深い、狂言の世界を一言で解説してしまう。まさに、この時に狂言師としての最大のイベントである「釣狐」を披く、そのストイックな挑戦姿勢を見せる舞台稽古の様子とともに、狐の跳躍の場面をゴールドブレンドのラベルと重ねる印象的なカットにより、ゴールドブレンドの高級なイメージを醸し出す。稽古のあとの仲間との団欒の様子に「挽きたてのあじと香り」とナレーションを重ねる訳である。
 1970年にゴールドブレンドのコマーシャルがはじめてかかったときには、ゴールドブレンドの発音は、英語風に発音されていたが、この日本の伝統を全面に押出すようになってからは、カタカナをそのままに発音するようになったのも、この企業がねらうものがどこに向いたかを示しており面白い。
 ゴールドブレンドでは、もう一つ1984年に観世栄夫の「能 美しい世界」があるが、これは、観世栄夫の意見やその活動のイメージが色濃く出ており、能楽なのか創作映像なのかの判然としないもので、少し性格をことにすると言えようか。
 いずれにせよ、とくに中村吉右衛門と野村万作の作品は、日常あまり古典芸能のようなものに触れることのない一般大衆にとって、唯一、この世界を身近に感じることのできる通路であり、日本の伝統文化を日本国民に周知するという意味では、大きな効果があった。アンケートをとったわけではないが、おそらくは、能楽とか歌舞伎は、このゴールドブレンドのコマーシャルではじめて見たという人が、とくに地方では多かったに違いない。外資系企業サマサマといったところである。

コメント(0) | トラックバック(0) | 編集

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/mt_field/mt-tb.cgi/3870

コメントする