咸陽宮

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かんようきゅう


画題

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解説

画題辞典

咸陽は秦の都なり。始皇天下を統一して大に土工を起し、都府宮殿を営む、都の周囲一万八千余里。宮殿を此中央に高く築きて其の上に立つ、長生殿あり、不老門あり、黄金以て日を作り白銀以て月を型る、真珠瑠璃を砂子と敷き、四方には鉄の築地を高さ四十丈に築けりとなり、豪華知るべし。而して其上苑林中に作られたるを阿房宮となす、阿房宮に就いては其条を参照すべし。

咸陽宮を画けるもの、細川侯爵家所蔵に王詳の筆あり、近くは橋本雅邦の不老門、長生殿を画きたるものあり。

謡曲に「咸陽宮」あり。燕の太子丹、秦に質たりしが、始皇の無礼を怒り、逃げて国に帰り、此恨を報ぜんと志せる折柄、秦の将軍樊於期罪を獲て逃げて燕に来る、丹之に諷して自殺せしめ、其首に燕の地図を添え、莿軻、秦舞陽両人に持たしめて、秦に至り始皇に謁して之を刺さしめんとす。秦の後宮三千宮女の中花陽夫人あり、琴の名手なり、軻等その琴の音に妨げられて、遂に始皇を刺す能わず、この次第を叙す。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

秦の献公檪陽に都したが、孝公に至り、周の顕王の十九年、冀闕宮廷を此地に築いて遷都した、秦の始皇帝の天下を統一するや、天下の兵器を収めて、ここに聚め、天下の富豪十二万戸をここに移したといふ、宮殿は即ち咸陽宮で、長生殿あり不老門あり、豪華一世を風靡したが、楚の項羽に依つて焼かれてしまつた、曽鞏の虞美人草の詩に『鴻門玉斗粉如雪、十万降兵夜流血、咸陽官殿三月紅、覇業己随煙燼滅』とある。また一名渭城と名づく。

抑も此咸陽宮と申すは、都のまはり一万八千三百余里、内裏は地より三里高く、雲を凌ぎて築きあげて、鉄の築地方四十里、「又は高さも百余丈、雲路を渡る雁がねも、雁門ならでは過ぎがたし、「内に三十六宮あり、真珠のいさご瑠璃のいさご、こがねの砂を地には敷き「長生不老の日月までいらかをならべておびただし、「帝の御殿は阿房宮、銅のはしら三十六丈東西九町「南北五町、「五丈のはたほこ「りししやの雲井、「さながら天に「飄り「のぼれば玉のきざはしの金銀をみがきてかゞやけり、ただ日月踏み蒼天をわたる心地しておの/\肝を消すとかや。  (謡曲=咸陽宮)

その不老門長生殿は古来楼閣山水として画かれ細川侯爵家には王詳の筆があり、狩野晴川院、橋本雅邦にもその作がある。

謡曲にも咸陽宮があり、燕の太子丹が秦の国に質となつてゐたが、始皇の無礼を怒り国に逃げ帰り、何とかして此の恨に報いんと思ひめぐらす頃、秦の将軍に樊於期といふもの罪を得て燕に逃げ来つたので、遂に之に諷して自殺せしめ、其首と燕の地図とを荊軻、秦舞陽の両人に持たせて始皇を刺させやうと謀つたが、花陽夫人の琴の音に妨げられて果さなかつたといふ筋、シテは秦始皇、ツレ花陽夫人、ワキ荊軻、ツレ秦舞陽、同大臣、狂言官人である。  (謡曲通解)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)