始皇帝

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しこうてい


画題

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解説

画題辞典

始皇帝は支那秦第一代の皇帝にして、帝称の最初なり。名は政、荘襄王の子、実は呂不葦の子にして、十三歳にして、父に継いて秦王となり、韓、魏、趙、楚、燕、齊の六国を滅ぼし、天下を統一して帝位に即く、自ら呼んで朕と称す。北匈奴の侵害を懼れ、蒙恬をして之を討たしめ、臨洮より遼東に至る長城を築く、即ち万里長城なり。又李斯の建言に従ひ、天下の詩書百家の語悉く之を焼毀し、尋いで儒生四百六十人を咸陽に坑し、以て天下の政を非議するものを絶たんとす。始めて郡縣の政を布き、天下を三十六縣に分ち、郡に守・尉・監、縣に令を置き以て国家を治めんとせり、又帝者の大を知らしむるに力を用い、海内を遊幸し咸陽に阿房官を造営す、出遊の途、沙丘の平台に崩ず、年五十二、始皇一代の行事がかるゝ所少なからず。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那秦の第一世皇帝、姓は嬴、名は政、荘襄王の子、十三にして秦王となる、即位廿六年で六国を減ぼし天下を一続し命を制とし令を詔とし自ら称して朕といひ始皇帝の尊号を上らしめた、又天下を三十六郡に分ち郡に守、尉、監を置き兵を収めて咸陽に聚め銷して金人十二を作り、又天下の富豪を咸陽に集めること十二万戸、三十万人をして北方胡を撃たしめ万里の長城を築く、また、諸生の横議を悪み丞相李斯の議を用ひて天下の書を焚かしむ、焼かなかつたのは医、卜筮、種樹の書のみ、三十六年阿房宮を築く、壮厳人目を驚かす、是歳諸生の政を議するを怒り、四百六十人を鞠問してみな咸陽に坑す、長子扶蘇賢にしてこれを諌めたが聞かず、扶蘇をして北方蒙恬の部を上郡部に監せしめた、三十七年出遊し平原津に至り璽書を作つて扶蘇に与へ、七月丙寅沙丘平台に崩ず、時に歳五十。秦始皇帝はその雄図宏謨稀に見る所であつたが、徳を貴ばず、焚書坑儒の如き暴を敢へてし、阿房宮建造の如き豪奢を極めたので、奸臣の乗ずる処となり僅か二世を以て亡びてしまつた。

秦王自以、「徳兼三皇功過五帝」更号曰皇帝命為制令為詔、自称曰朕、制曰、「死而以行為諡則是子議父臣議君也、甚無謂、自今以来除諡法、朕為始皇後世以計数、二世三世至于万世伝之無窮。  (十八史略)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)