立命館大学アート・リサーチセンター所蔵
浮世絵名品展 第一期 出品目録
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勝川派の時代 解説へ
勝川春章(細判錦絵2枚続)                                 UY0260,0261
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安永2年(1773)3月12日 市村座
えどのはるめいしょそが
江戸春名所曽我
 
工藤左衛門尉祐経ヵ〈1〉尾上菊五郎
足軽新平ヵ〈3〉大谷広次
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 駕籠の前に立つ〈1〉尾上菊五郎と〈3〉大谷広次を描く。春章の落款から安永2・3年前後の作品と考えられる。この時期に二人が同座しているのは、安永2年の市村座のみであり、この年の9月には菊五郎が上坂するため、自ずから時期が限られてくる。『歌舞伎年表』の市村座の3月興行の項には「工藤供廻り大勢にて行列の出。(中略)新平を鬼王と悟り衣類を剥ぎ」という記述がある。本作の菊五郎の衣装には、庵木瓜の紋こそないが、その鬘の形から工藤と充分考えられ、広次の衣装も足軽の扮装としては妥当なところである。これらの諸条件からこの作品が安永2年3月の市村座に取材したものと考えられる。


勝川春好(細判錦絵2枚続の内1枚)                             UY0028
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安永8年(1779)1月15日 中村座
ごひいきねんねんそが                    はつゆめすがたのふじ
御攝☆曽我 一番目四立目所作事 初夢姿富士(長唄)

曽我の五郎時致〈2〉市川門之助
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 着物に描かれた蝶の模様から、曽我五郎を描いたものと考えられる。江戸歌舞伎では毎年春になると曽我狂言が上演されるのが恒例で、〈2〉市川門之助も安永期に8回、天明期に2回五郎役を務めている。安永8年正月中村座の長唄正本の表紙絵や参考図の団扇絵にほぼ同じ構図で描かれているため、本図の上演年次を特定することができる。本図も団扇絵と同様、左に〈1〉三津五郎の朝比奈を配置する2枚続と思われる。富士山を背景とした、朝比奈と五郎の所作事を描くもので、二人が松を引合うのは、曽我ものの趣向のひとつ、「草摺引」の変形でもあろうか。(参考図)


勝川春英(細判錦絵1枚)                          UY0027
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寛政5年(1793)4月2日 河原崎座
ごぜんがかりすもうそが
御前懸相撲曽我 二番目
 
植木売十兵衛実ハ悪七兵衛景清〈5〉市川団十郎
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  百日の鬘とその扮装、手に持つ薙刀などから平家の勇将、悪七兵衛景清を描いたものであることがわかる。扮する役者は景清を当たり役とした〈1〉市川鰕蔵。鰕蔵は寛政年間に毎年のように景清を演じているが、画面上部にある笹竜胆の紋のある幔幕から、源頼朝の命を奪わんとして東大寺の大仏供養に景清が現われるいわゆる「大仏供養」の景清の一場面を描いたものであることがわかる。これらから寛政5年4月の中村座に取材したものであると断定できる。


勝川春章(細判錦絵1枚)                                            UY0026
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天明2年(1782)2月5日ヵ 中村座
ななくさよそおいそが
七種粧曽我 二番目

花川戸のかみゆひ かんざしの甚五郎
         実ハ三保谷の四郎くめとしヵ〈2〉市川門之助
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 〈2〉市川門之助が手に持つのは髪結の道具入れで、ここから髪結役を演じた時の絵だと考えられる。門之助が髪結を演じた上演を探すと、上記上演に行き当たった。天明初年頃は春章の落款が楷書体から行書体に移行する時期にあたり、その点を考慮すると微妙なところであるが、現在は他に手掛りもなく、上記上演時のものと推定しておきたい。くめとしは、髪結かんざしの甚五郎に身をやつして景清探索に乗り出す。この時の門之助の扮装は、大名縞の単物に肩と裾に四つ紅葉と抱き若松を染め抜いたもので、大変評判をとり、女性たちの間では、この染めの浴衣を着て湯に行くのが流行となったという。

勝川春英(大判錦絵1枚)                                            UY0263
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天明7年(1787)11月1日 桐座
さんがのしょうむつのはなよめ      はるまつやたにのもろごえ
三庄睦花娵 二番目浄瑠璃 春待谷諸声(常磐津)
 
はなし鳥売実ハ大内之助氏安ヵ〈5〉市川高麗蔵、
山がつ三ヶ月ノ砠右衛門実ハ毛利左衛門まさ春ヵ〈2〉嵐竜蔵
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 春英の落款から天明末ごろの作品と考えられるが、大判錦絵に全身二人立ちという形式は、この時期の役者絵としては珍しいもの。衣装にある分銅の紋から片膝をついている役者が〈2〉嵐竜蔵、一方この人物に背後から斬りかかる役者は三升に高の字の紋から〈5〉市川高麗蔵であることがわかる。この時期に二人が同座しているのは天明8年の桐座に限られ、『歌舞伎年表』の天明7年桐座顔見世の高麗蔵の項に「浄るりに竜蔵丈と刃引きのタテ。」という記述があり、この作品の構図から考えると、この興行に取材したものと思われる。

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