立命館大学アート・リサーチセンター所蔵
浮世絵名品展 第一期 出品目録
  第二期 第三期 戻る

初代歌川豊国の登場 解説へ
初代歌川豊国(細判錦絵2枚続)                            UY0251,0252
「曽我の団三郎 岩井喜代太郎」
「鬼王新左衛門 市川八百蔵」
────────────────────────────
享和2年(1802)1月27日 中村座
はつぶたいわかやぎそが
初舞台陽向曽我 一番目四立目

曽我の団三郎〈2〉岩井喜代太郎、鬼王新左衛門〈3〉市川八百蔵
────────────────────────────
  本図に描かれた鬼王新左衛門と団三郎の兄弟は、曽我兄弟の忠臣で、新春恒例の曽我狂言ではお馴染みの役どころである。本図では〈3〉市川八百蔵の鬼王が〈2〉岩井喜代太郎の団三郎に切り付け、団三郎は額縁を楯にしてそれを避けている場面が描かれているが、この芝居の記録は少なく、どのような経緯で二人が争うこととなったものか、詳細は不明である。逆に、この絵があることによって、この狂言に鬼王兄弟が争う場面があったかと推測でき、歌舞伎の上演内容の記録としても貴重な絵といえる。

歌川国政(大判錦絵1枚)                                           UY0264
「武田勝頼 中村伝九郎」「八重かきひめ 松本米三郎」
────────────────────────────
寛政11年(1799)5月5日 市村座
ほんちょうにじゅうしこう
本朝廿四孝  四の中

武田勝頼〈4〉中村伝九郎、八重かきひめ〈1〉松本米三郎
────────────────────────────
  寛政11年5月市村座「本朝廿四孝」を描いたシリーズの1枚。「十種香」の場。簑作実は武田勝頼、彼の許嫁八重垣姫を描いたもの。八重垣姫が十種香を焚き、死んだ偽勝頼の供養をしているところへ、勝頼が簑作と偽称して現れる。八重垣姫は勝頼にうり二つの簑作を見て勝頼ではないかと詰寄るが、本名を明かせない勝頼は、人違いだと言って姫を受け入れない。本図のシリーズには他に、初代市川男女蔵の長尾三郎かけかつ、三代目市川八百蔵の横蔵が知られる。(参考図)

初代歌川豊国(大判錦絵1枚)                                     UY0258
「三浦や大岸 瀬川菊之丞」「白坂甚平 市川荒五郎」
────────────────────────────
寛政12年(1800)閏4月2日 市村座
おとこむすびちかいのりゅうがん
男巻盟立願 四幕目
 
三浦や大岸〈3〉瀬川菊之丞、白坂甚平〈1〉市川荒五郎
────────────────────────────

 この作品が取材した「男巻盟立願」は歌舞伎でも珍しい男色を扱った物語で、父十内を闇討にされた美貌の小姓印南志津摩に思いを寄せる大高主殿が、志津摩と義兄弟の契りをむすび、志津摩の助太刀をするという敵討もの。描かれた場面は、今は吉原で全盛の太夫三浦屋大岸と名乗っている十内の妻おたみに旧臣の白坂甚平が無理に言い寄り、亡夫の敵を討つ覚悟があるかどうかおたみの心底を試す場面。この後の場面で白坂甚平が腹を切り腹中に印南の重宝の一軸を隠すという「細川の血達摩」の趣向を見せた。


初代歌川豊国(大判錦絵3枚続の内2枚)               UY0148,0149
「沢村源之助」
「岩井半四郎」
────────────────────────────
文化6年(1809)4月5日 市村座
れいげんそがのかみがき
霊験曽我籬 七幕目

本庄助市〈1〉沢村源之助、白井権八〈5〉岩井半四郎
────────────────────────────

 鶴屋南北作『霊験曽我籬』は曽我の世界に権八長兵衛もの・亀山敵討などを綯交ぜにした作で、本図はその中の七幕目だんまりを描いたもの。雨夜の大音寺前で、白井権八は敵寺西閑心と誤って兄助市を殺し、二人の様子を寺西閑心が物陰から伺う。ここで初代源之助の助市が持つのは鞘から抜くと蛙の鳴き声がするという蛙丸の太刀で、閑心はこの太刀を手に入れようとねらっている。一番左に〈1〉尾上栄三郎の寺西閑心を描く図を加えた3枚続きであったものか。


初代歌川豊国(大判錦絵1枚)                                     UY0299
「秋津しま一子国松 坂東簑助」「関取鬼ヶ嶽 嵐冠十郎」
────────────────────────────
文化6年(1809)9月9日 森田座
けいせいはんごんこう                             せきとりにだいしょうぶづけ
傾城反魂香 二番目中幕引返し 関取二代勝負附

秋津しま一子国松〈2〉坂東簑助、関取鬼ヶ嶽〈1〉嵐冠十郎
────────────────────────────

 『関取二代勝負附』は、六角家の家督相続人を決めるために催された、関取鬼ヶ嶽・秋津島の勝負をめぐる物語で、明和5年9月並木正吉座にて人形浄瑠璃として上演された後、歌舞伎に取り入れられた。鬼ヶ嶽と秋津島の勝負は一度引き分け、後日再試合となるが、その勝負の前に秋津島は鬼ヶ嶽によって窮地におちいり、切腹してしまう。国松は父秋津島の臓腑の鮮血を飲むことによって父秋津島の魂が乗り移り、見事鬼ヶ嶽を破って父の無念をはらす。〈2〉坂東簑助は〈4〉坂東三津五郎になる役者で、この時はまだ9歳であった。


初代歌川豊国(大判錦絵2枚続)                           UY0300,0301
「ゐづつや伝兵へ 沢村源之助」
「兵部娘小いな 瀬川仙女」
────────────────────────────
文化7年(1810)1月17日 中村座
えどのはるごひいきそが                        はですがためいぶつがのこ
江戸春御摂曽我 二番目序幕 艶容姿名物鹿子

ゐづつや伝兵へ〈1〉沢村源之助、兵部娘小いな〈1〉瀬川仙女
────────────────────────────

 文化8年春に上演された『艶容姿名物鹿子』は、お俊伝兵衛ものと小いな半兵衛ものを綯い交ぜにした内容であった。本図はその序幕に演じられた、道場を舞台とした一場面を描いたものであろう。瀬川仙女は三代目瀬川菊之丞で、通称仙女路考と呼ばれたが、菊之丞の名跡を譲った後、俳名仙女をそのまま役者名としても用いた時期があった。仙女はこの年の暮れに病気のため60歳で没する。本図に描かれたのは名優の最晩年の姿である。


初代歌川豊国(大判錦絵1枚)                                     UY0029
「御名残一世一代 つゞれの錦 中村歌右衛門」
────────────────────────────
文化12年(1815)7月28日 中村座
おとこだていろもよしわら     おりあわせつづれのにしき
男作女吉原 二番目 織合つゞれの錦 大安寺堤の段

春藤治郎左衛門〈3〉中村歌右衛門
────────────────────────────

 文化12年夏、〈3〉中村歌右衛門が江戸から上方に帰る際に、一世一代御名残狂言として、10演目を十日替りで次々に上演しようという企画が持ち上がった。本図はその時の御名残狂言を題材としたシリーズの一枚。このシリーズは他に『うつぼさる』『大塔宮曦鎧』『返魂香』(吃の段)『返魂香』(大門口の段)『三略巻』『御所桜堀河夜討』『凱陣紅葉』『本朝廿四孝』(勝頼)『本朝廿四孝』(横蔵)など10種が確認され、上演予定の10演目がすべて出揃っていないところをみると、同じシリーズの絵はまだ他にもあったかと想像される。


初代歌川豊国(大判錦絵2枚続)                           UY0302,0303
「佐々木厳流 片岡仁左衛門」
「吉岡帯刀 市川団十郎」
────────────────────────────
文化14年(1817)9月13日 河原崎座
がんりゅうじましょうぶをみやもと
巌流嶋勝負宮本 二幕目

佐々木巌流〈7〉片岡仁左衛門、吉岡帯刀〈7〉市川団十郎
────────────────────────────

 本作は、武蔵・小次郎の巌流島物の芝居から取材したもので、作者の〈4〉鶴屋南北が、従来の作を増補改作したものであったという。〈7〉片岡仁左衛門は佐々木厳流役を当たり役とし、この芝居を江戸での御名残として上方へ帰京する。ここでは、厳流が吉岡帯刀を闇討ちする場面を描いていると思われる。雨の情景を描いた浮世絵は多いが、このように地面に打ち付ける雨の様子まで描いているものは珍しく、激しい雨の中での戦いを臨場感豊かに表現している。


初代歌川国貞(大判錦絵10枚組の内3枚)
                                          UY0145,0146,0147
「春狂言稽古の図」「見立」「岩井杜若」
「春狂言稽古の図」「見立」「松本錦升」
「春狂言稽古の図」「見立」「岩井紫若」
───────────────────────
文政6年(1823)頃 (見立)

〈5〉岩井半四郎、〈5〉松本幸四郎、〈1〉岩井紫若
───────────────────────

 新藤茂氏の『五渡亭国貞ー役者絵の世界』によると、このシリーズは国貞の落款から文政6年に刊行された作品であると考証されているが、文政3年から上坂していた岩井半四郎が文政5年11月に約2年ぶりに江戸へ帰ってきたことや、父半四郎に同道して大坂に赴いていた岩井松之助が文政5年11月の森田座で岩井紫若と改名することなどから考えても、この新藤氏の説が肯定できる。画中に「春狂言稽古の図」とあるように各作品とも書抜きを手にして稽古をする普段着の役者達を描いており、それぞれを「曽我」の世界の主要な人物に見立てている。各図とも番号が入っており10枚前後の組物と考えられる。
 右から1枚目の半四郎は、烏帽子や庵木瓜の紋の入った大紋、そしてそこに添えられた短刀と富士の狩場の切手の木札から、見立て工藤祐経であることがわかる。2枚目の幸四郎は、百日に車鬢の鬘、鎧に墨の衣、そして薙刀から見立て悪七兵衛景清であることがわかる。3枚目の紫若は、世話がかった鬘や、守袋、木瓜の紋の入った小袖などから見立て十六夜であることがわかる。十六夜は曽我家の家臣鬼王新左衛門の妻、月小夜の妹。

先頭へ戻る